Trivial Tremendouses

 
 「容疑者Xの献身」が本格ではないという人がいれば、「インシテミル」がハードパズラーではないという人もいる。どちらも作品自体を貶めているわけではない。「ジャンルが違う」と言っているにすぎない。しかし、いずれ劣らぬミステリマニアが「〜ではない」という否定的形容でこれらの小説を語るのはなぜかというと、たぶん彼らのミステリ観をいら立たせる何かが作品の中にあるからなのだろう。「インシテミル」だけについていえば、それは傑作の証に他ならない。

 なによりプロットが神話的世界に融解してくのがすばらしい。悪しき神により(7日間で)つくられた悪しき世界からの脱出。そして新たなる世界の創出。犯人も主催者もそして傍観者(?)も、己の行動について動機らしい動機を持たない。というか作者によって十分に説明されない。なぜ十億が必要なのか。滞っているのは何か、なぜ実験を行うのか。動機の不在が神話性をいやが上にも高める。

 作者の多くの作品に登場する超越者がここでも登場する。他の登場人物と一レベル異なり、彼らを操ろうとする女性のことだ。以前にも引用した安吾のフレーズに再び登場願わねばなるまい。「メリメの如く、カルメンからコロンバへ、さらには人を殺すヴィナスの像へ、つつましく、生長しつづけて行く彼の恋人、理想の女を見たまえ」

 恋人や理想の女であるかどうかまでは分からないが、「エンドロール」のラストに出てくるあの人から「犬はどこだ」のあの人、「夏期限定」の最後のほうにおけるあの人から「ボトルネック」のあの人、それから今回のあの人と、とにかくつつましく生長を続けていってるのは確かだ。この作者の作品を読み続ける最大の理由はそこにある。