ジョン・コリアは難しい5(捏造疑惑の巻)

 
コリアは30歳のときに「ジョン・オーブリーの醜聞と軽信」(1931)という本を出している。「モンキー・ワイフ」という猿と結婚した男の話を書いて読書界の話題を攫った一年後のことだ。

むかしジョン・オーブリー(1626-1697)というゴシップが三度の飯より好きな憎めないオッサンがいて、シェークスピアとかベン・ジョンソンとかエドマンド・スペンサーとか、すこし前に亡くなったいわゆる名士の逸話の蒐集にこれつとめた。その頃はまだこれらの名士に会った人が存命であったりもしたので情報源には事欠かなかったという。

なにしろ好奇心のかたまりのような親父で、容貌であれ性癖であれ交友関係であれ逸話であれ根堀り葉堀り聞き出し(小林信彦『虚栄の市』の一登場人物のモデルになったとかいわれる翻訳家のU氏みたいですね)、そして耳にしたことは片端からメモしていったため草稿は膨大な嵩となった。そのためかどうか生前にはついに出版されず、友人エリアス・アッシュモールがオックスフォードに創設したアッシュモール文庫に委託されたまま長年の眠りを眠ることになる。

で、コリアがその草稿の山と格闘し、面白い所をだけを抜粋してできたのが上記の本だ。冨山房百科全書版『名士小伝』に付された橋口稔氏の解題では、このコリアの本は、

おそらくは、わが国の英文学者のあいだでオーブリーの『名士小伝』が読まれ、幾分かなりとも話題にされるようになったのは、このコリヤー本によってであろう。この本は、オーブリーの残した草稿から五十八人を選んで、読者の興味を惹きやすいサワリの部分を中心に構成し、四十三ページの序文をつけたものである。題名はもしかしたらG.K.チェスタトンの探偵小説「ブラウン神父」ものの題から示唆を得た(五冊目の「醜聞」をそのまま借り、三冊目の「懐疑(インクレデュリティー)」を「軽信(クレデュリティーズ)」とした)のであろう。どちらかと言えば興味本位の本であって、学問的な意味は持たぬ版であった。

と、オーブリーの名を世に広めた功績は認めながらも、若干手厳しい評価がなされている。冨山房版の『名士小伝』は、アントニー・ポウエルという人が編集した本から翻訳されているそうだ。ちなみにここを見ると、この人はどうやら小説家のパウエルと同一人物らしい。

で、いわゆる「学問的な意味は持たぬ版」と「持つ版」の違いはどこにあるかと疑問に思ってコリア版と冨山房版を見比べながらタラタラ読んでみると、なるほど、たしかにところどころ違う。

例えばフィリップ・シドニー*1について、コリア版にはこんなことが書いてある。Sir Francis Walsinghamの娘と結婚したという記述のすぐ後だ。(原文の古い綴りは適当に現行の綴りに直した)

Having received some shot or wound in the wars in the in the Low-Countries, where he had command (of the Ramikins, I think), he would not (contrary to the injunction of his physitians and chirurgions) forbear his carnal knowledge of her, which cost him his life; upon which occasion there were some roguish verses made. (大意:フィリップ・シドニーは戦争で負傷したにもかかわらず、医者の注意を無視して"carnal knowledge of her"を控えなかったため、それが命取りとなった。)

ところが、冨山房版の訳では、この肝心の"carnal knowledge of her"に相当する語句がない。その部分は原稿が判読できないことになっていて、あたりさわりのない推定がされている。

はて? もしかしたら話を面白くするためのコリアの捏造? でもたぶんそんなことはないと思う。だって前後の文章との続き具合がよすぎるから。
 

*1:シドニーを知らない人にはフランセス・A・イエイツ『薔薇十字の覚醒』がおすすめ