ジョン・コリアは難しい(1)

もう十年以上昔の話になるが、北沢書店の店頭にジョン・コリアの詩集「Gemini」が格安で出ていたことがあった。たぶんダストジャケットがないとか、フライリーフがちぎれているとか、生田耕作の旧蔵書だったとか、正規の値段をつけるのを躊躇わせる何かがあったのだろう。しかし読めさえすればいいこちらには、とりあえずどうでもいいことである。
しかし買ってから分かったのだが、この本を「読めさえすればいい」というのはなかなかの高望みなのだった。巻末に「殺人による慰めについて(Of Consolation through Murder)」という散文詩のようなショートショートのような作品がおさめられている。これはなかなか、なかなかなかなか難物だった。
それもそのはず、The Apologyと称する作者の前書きにはこんなことが書いてある――What I had felt vaguely about this new medium, became very clear to me on seeing Joyce's superbe examples of it, and I became eager to try at what possibilities it held for me.――要するにジョイスの「ユリシーズ」に萌えた作者が自分もこの新しい散文の可能性を試してやろうとしてものした文章らしい。本人が認めるかどうかはともかく、これは若さゆえの過ちとしか言えないのでは? 少なくともコリアはその後二度とこの種の文体実験に手を染めなかったようだ。
 


長門有希にさえ解読不能と言われる謎の文字列