叙述トリック大全、あるいは真相の2/3

 
おそらく現時点での倉阪ミステリの最高峰。年末の「このミス」で何位になるか楽しみ。ありとあらゆる叙述トリックが鏤められていて、さながら叙述トリック展覧会みたいだが、それでいて雑然とした感じはなく渾然一体としてひとつの作品にまとまっているのだから恐ろしい。

『赤い額縁』に出てきた句「額縁屋額縁だけを売りにけり」がまた出てくる。額縁の中の空白が恐ろしいのだという。それでは額縁(枠)をなくしてしまったらどうだろう。たとえば『ウロボロスの偽書』みたいに作者と登場人物の世界を地続きにして、竹本夫妻と芸者たちに会話をさせるとか。

しかしここではウロボロスとまったく異なったやり方で額縁が外されている。そして唯一額縁の付された「額縁の中の男」は、結局額縁の中にしか(あるいは外にしか)いなかったことが最終的にあきらかになる。

それから、探偵役のミステリ作家が、作中の事件をモデルにして新作を書こうとするのだが、それが不思議なミスディレクションになっていて、麻耶雄嵩が『蛍』で使った手をいっそうねじくれさせたような感じ。
 
(以下本書の内容に触れます。未読の人は注意)
 
ここには三人の「芸術家」あるいは犯罪者が登場する。彼らは三者三様の方法で彼らの「作品」を作り上げようとするのだが、作者の超絶技巧によって物語の中盤まではそれが一人の仕業にしか見えない。それが中盤以降からは、解離性同一性障害の発現のように三者は徐々に分裂をはじめ、(ここらへんの戦慄はミステリというよりホラーの趣きあり)、そしてラストで三者はそれぞれまったく異なる運命をたどることになる。読んでいて一番堪能したのはその余韻だった。

三人目の人の最後の犯罪は、デ・ラ・メアそこのけの朦朧法で描写されてあって、うっかり読み飛ばすと、いや、目を皿のようにして読んでも、何が行われたのか気付くのは難しい。拙豚は最後まで読んで「えっあの人が殺されたはずないだろ。だって電話がかかってきてたじゃない。犯人の人が壊れたのかな?」と最初不審に思ったが、再読して脱帽した。「……館」の正体、それから三人のうち二人までの犯罪は何となく見当がついたが、この一番肝心の三人目については完全に騙された〜。