L氏・言葉遊び・翻訳

L氏の言葉遊び癖のはげしさは、泰平ヨンものや、「ロボット物語 (ハヤカワ文庫SF)」や、なかんずく「宇宙創世記ロボットの旅 (ハヤカワ文庫 SF 203)」の読者には周知のことであろう。下に書影をアップした本は、そういったL氏の言葉遊びがいかに翻訳に反映されているか、という一つのテーマだけに絞って書かれた言語学の研究書である。あっぱれ〜。やはり学者というものは凄い。

思わず感激して買うには買ったが、(というのはこういう研究書はいわゆる古書価がつかない本なので、あるうちに買っておかないと入手が極めて困難になるから)、しかし本文を読む気はいまだに起きない。たぶんこれからも起きないような気がする。しかし、どちらかと言えば本書の目玉は、巻末附録としてついている、著者のL氏へのインタビューである。ここでは堅苦しくない座談調のL氏節が楽しめる。この部分はコミケで出すL氏追悼本にも翻訳して入れるつもり。

さて、L氏の本はほとんどすべて独訳されているのだが、その中のいくつかは原著者によりオーソライズされている。ところが、ロッテンシュタイナーによると、このオーソライズというのがなかなか問題らしい。ロ氏に言わせると、原著者がオーソライズした翻訳はことごとく出来が悪いのだそうだ(中でも最悪なのは「浴槽で発見された手記」らしい)。そこで「SFと未来学」の第二巻を訳したエッダ・ヴェルフェルはあえて原著者にオーソライズされることを断ったという。

ここに厄介な問題がある。つまりドイツ語ならドイツ語を母語としていない人のドイツ語は、それがどんなに上手なものでも、必ずある歪みがあるようなのだ。だから原著者が翻訳者に口をはさむと結果として変な翻訳になってしまうようなのだ。他の人の例でいうと、ノーマン・トマス・ディ・ジョヴァンニによるボルヘス作品の英訳は、原著者が積極的に関与したにもかかわらず(あるいは関与したがゆえに)ちょっと首をひねるようなものになっている。L氏自体はドイツ語で作品が書けるほどドイツ語に堪能なのだが*1、あるときそのドイツ語で書いたエッセイを母語ポーランド語に訳してくれと言われ七転八倒したという。そして結局あらためて似た内容のエッセイをポーランド語で書いたそうな。上述のインタビューに出ていた話である。そういえばこのインタビューでは、ナボコフ「ロリータ」の著者自身のロシア語訳に触れて、それをまずい訳だと言っていた。


 

*1:直接ドイツ語で書かれ、ポーランド語にはなっていない、現代のファウストを扱った"Herr F"という短篇があるらしい。来月出るSFマガジンのL氏特集をチェックして、まだ日本語になっていなければ、探して翻訳してみようかとも思う