タルホマニア拾遺録(5) 十六歳の三島、足穂を読む

三島由紀夫 十代書簡集 (新潮文庫)

三島由紀夫 十代書簡集 (新潮文庫)

 
何を血迷ったか、「三島由紀夫 十代書簡集」なるものをぱらぱらめくってたら足穂が出てきた。

稲垣足穂の「山風蠱」をよみ、貴下が、宮沢賢治牧野信一に対してお感じになるのと同じやうな気持ちで、ああ、こんなハイカラな破天荒な夢をどうにかして書いてみたいものだと思はずにはゐられません。稲垣氏が近頃雑誌に発表してゐるものは、旧作にくらべれば色がずっとくすんで了ひましたが(尤もそんじょそこらの小説とは比べものにならないくらいユニイクなものですが)もともと阿呆な儒学者流の世評から始終虐待されて、たうとう大成しなかった人です。久野豊彦氏は、「稲垣足穂氏の文学は、いくらか誇張して云へば、日本のごとき野暮臭い文壇に於ては決して成長すべき筋合の文学ではないのだ。無脳の三角形のやうな日本の文芸批評家にいかにして彼の作品が正しく理解されようぞ。氏の作品には一見怖ろしくキンドリッヒなところがある。だが勿論それは甚だしく皮相な見解であつてもし氏の文学がフランスの文壇ででも育つたら、それは氏の天分によつて異常な発達を遂げたであろう。」と云つてゐます。氏の夢は多く天体、それも星に関するもので、数学的なハイカラな涼しい夢です。「フエヴアリツト」なぞといふ作品は「ル・アンフアン・テリブル」を思はせます

 
昭和十六年十一月十六日、十六歳の三島が先輩の東文彦(徤)に宛てた書簡の一節である。つまり足穂が急性チフスのため大塚病院にかつぎこまれていたころ書かれたものだ。「山風蠱」は前年昭和十五年六月の出版で、同じ年の十一月には「弥勒」が「新潮」に、「イカロス」が「カルト・ブランシュ」に出た。
それにしてもこんなに早くから三島が足穂ファンであったとは。「美しき穉き婦人に始まる」「地球」「フェヴァリット」などが収録されている『山風蠱』に、「こんなハイカラな破天荒な夢」と賛辞を捧げる若き三島の鑑賞眼おそるべし。