ヴェニスでの死に方

 
 先頃、推理作家協会で須永朝彦氏が「探偵小説と同性愛」とテーマで話をされた。多くの作品がとりあげられたが、なかでも氏の賞賛が印象的だったのが、この「破局」に収録されている「美少年(Ganymede)」という短篇だ。氏はこれを「『ヴェニスに死す』のパロディ」という風に紹介された。

 なるほど、この作品でも「ヴェニスに死す」人物が一人いる。それはまぎれもない事故死だ。しかし、その前後の遺族たちの振る舞いを読むと、なにやらその事故が巧みに仕組まれた完全犯罪のような感じさえしてくる。それほどこの死はしっくりこない。プロット上の歪みというか、断層がぱくりと口をあけている感じだ。ミステリーの文法から言えば、こういう場面でこういう人物が死ねば、それは殺人事件に決っているのだ。しかしやはり正真正銘の事故死である。ああ、なんということだろう……(この作品はミステリーではないので、そんなことを言われても困るだろうけれど)。

 もちろん誤読であろうが、この不思議な短篇には、中井英夫が「虚無への供物」で追求した事故死と「想像上の殺人」をめぐる考察に類似のものさえ感じてしまう。主人公にとってかけがえのない人物が亡くなったというのに、世界は何も変わらない。遺族たちにしても、死者を少しも悲しんでいるようには見えない。何も変わらない、その絶望で主人公自身が変貌してしまう。洞爺丸事件のあとの氷沼家の人々のように。