十世紀のダルシマー

昨日に続いて、黒死館の下記の部分を巡る話。

「所でペンクライク(十四世紀英蘭の言語学者)が編纂した『ツルバール史詩集成』の中に、ゲルベルトに関する妖異譚が載っている。勿論当時のサラセン嫌悪の風潮で、ゲルベルトをまるで妖術師扱いにしているのだが、とにかくその一節を抜萃してみよう。一種の錬金抒情詩なんだよ。
   ゲルベルト畢宿七星(アルデバラン)を仰ぎ眺めて
   平琴(ダルシメル)を弾ず
   はじめ低絃を弾きてのち黙す
   しかるにその寸後
   側の月琴(タンブル)は人なきに鳴り
   ものの怪の声の如く、高き絃音にて応う
   されば傍人、耳を覆いて遁れ去りしとぞ
所が、キィゼヴェッテルの『古代楽器史』を見ると、月琴は腸線楽器だが、平琴の十世紀時代のものになると、腸線の代りに金属線が張られていて、その音が恰度、現在の鉄琴に近いと云うのだがね。そこで、僕はその妖異譚の解剖を試みた事があった。ねえ熊城君、中世非文献的史詩と殺人事件との関係を、此処で充分咀嚼して貰いたいと思うのだよ」(創元推理文庫版 p.327)

一方、ニューグローブ世界音楽大事典の「ダルシマー」の項にはこうある。

「十五世紀中葉以前のダルシマーについてはほとんど知られていない。しばしばペルシア起源のものといわれるが、ファーマーはかなり否定的な例証を挙げている。[…]まぎれもなくダルシマーである楽器(横に弦を張り、ばちで叩かれる台形の楽器)として知られている最も古い図像は、十二世紀、ビザンティウムで、アンジュー伯フルクの妻エルサレムのメリザンドのために作られた本の、象牙製の浮彫のある表紙に見られる。その後300年は、他にどんなダルシマーも知られていない。もっとも、プサルテリウムについての中世の図像は多数ある。[…]1440年頃より後の多数のダルシマーの挿絵のうち、天使を描いたものは約4分の1にすぎない。しかし実質上、中世のプサルテリウム奏者はすべて天上の人物なのである。[…]1440年頃、アルノー・ド・ズヴォレはある鍵盤楽器に関しての分割弦の原理について述べたが、この楽器のラテン名(ドゥルチェ・メロス)が明らかに、15世紀末期に現れた「ダルシマー」という言葉の出所である。 その後の百年間のダルシマーについての言及および挿絵のほとんどは、ドイツと、グルノーブル及びアオスタを含めたアルプス山脈地域に集中しているが、ほかにイタリア、ポーランドハンガリーボヘミア、フランドル、北フランスおよびイギリスからのものもある。

このように、文献上ダルシマーが現れるのが十二世紀から後とすると、「平琴(ダルシメル)の十世紀時代のものになると」という黒死館の記述はアナクロニズムになる。同様に、940年頃に生まれ1003年に死亡したゲルベルト(ジェルベール・ドリヤック Gerbert d'Aurillac)がダルシマーを演奏できたはずもない。また上の引用のように、「ダルシマー」という言葉が十五世紀末にできたとすると、十一世紀から十三世紀に栄えたツルバール(トゥルヴェール)あるいはトロバトールがその言葉を知っているわけはないし、十四世紀の言語学者がそれを編纂するのも無理だろう。
と、ここまでの段階では、黒死館の上記部分は完全に虫太郎の捏造ということになるのだが、ここに一つ気になるところがある。ダルシマーに類似の楽器で、上の音楽辞典の引用にも出てくるプサルテリウムというものがある。ダルシマーとプサルテリウムの違いは、ダルシマーが弦をハンマー等で打つに対し、プサルテリウムは指やピックで弾くところにある。そして、プサルテリウムなら早くも北フランス九世紀中期の手写本にその姿が描かれている(ニューグローブ世界音楽大事典の「プサルテリウム」の項にある)ので、黒死館中の「ダルシメル」がプサルテリウムのことであれば、あながち上の文章もアナクロニズムということにはならない。
しかし、今まで書いてきたことから、もし上のような詩が実在するならば、必ずやそれは楽器史上重要な文献となるに違いない。それが黒死館以外に見あたらないということは、やはり、虫太郎によって作られたものではなかろうか。