イシス探求 

 


エジプトのサイス(ドイツ語読みだとザイス)の地に祀られる大地母神・自然の女神イシス。このイシスたる自然とは、人間にとっていったい何であるのか、どうつきあっていくべきか、その神秘はいかに解き明かされるか、あるいは科学者としての自然探求と詩人の自然認識をいかに調和させるか(ノヴァーリス自身も詩人であるとともに、フライブルク鉱山アカデミーで自然科学的世界観を学んだ)……「サイスの弟子たち」はこういった問いを巡るノヴァーリスの魔術的思索集成である。未だに衝撃を失わないその現代性は、ホッケが「文学におけるマニエリスム」で、あるいはノイバウアーが「アルス・コンビナトリアISBN:475669960X」で称揚しているとおりだ。
青い花」と同じくこの作品も、作者の早すぎる死とともに未完に終わった。残されたパラリポメナ(補遺)によると、こんな腹案もあったらしい。

ザイスの神殿の変容。イシスの出現。ピラミッドへの旅……運命の寵児はイシスの秘密の住居を尋ねて旅立った……入口に到着し、中に入り、フィアンセに会った。彼はザイスの女神のヴェールを剥いだ。彼は見た――何たる奇跡――彼自身を。「自然」の神秘主義。イシス。処女。ヴェール。
(これはバルトルシャイテス「イシス探求」からの引用。ノヴァーリス作品集Ⅰとは若干テキストが異なる)

 
ところでこのちくま文庫は何回目かのノヴァーリス作品集成の試みだが、先行のものと截然と異なる点がある。それは編者独自の編集方針を持つ「アンソロジー」の性格を持っていることだ。たとえばこの第Ⅰ巻は、「自然哲学者ノヴァーリス」のテーマに従って配列されたアンソロジーのように見える。まず巻頭に上に述べたような性格を持つ「サイスの弟子たち」をぶつけ、それからアフォリズム集の「花粉」、それから対話と断章、そしてトリはフライベルク自然科学研究と、まるで東雅夫氏のアンソロジー群を思わせるような見事さだ。
このアンソロジーの方針は、編者があとがきによれば、「夢見るロマンティック詩人ノヴァーリス」という従来のイメージの打破にある。つまり編者は「非ロマンティックなノヴァーリス」像を打ちたてようとしているらしい。それかあらぬか、表三のプランを見る限りこの三巻本の選集には、詩が一篇も収録されていない!(散文詩「夜の讃歌」だけはかろうじて入っている)。これは〜ちょっと〜あんまりではないの〜と、ドイツのプログレバンド「ノヴァリス」がメロディーをつけて歌うノヴァーリスの詩から、この詩人の世界に参入した拙豚などは思うが、まあこれはこれで一つの考え方ではあるのかもしれない。(ついでに言えば「キリスト教世界あるいはヨーロッパ」も入ってない。)
本国版全集の第一巻がコールハンマー社から出たのは1960年だが、何年か前にやっと第六-Ⅱ巻というのが出た。それでもまだ完結してなかったような気がする。二十九歳で死んだくせに、残されたテキストは未発表の断簡零墨まで入れるとかくも膨大な量であるから、どっちみち取捨選択は必要不可欠ではあるのだろう。しかし、例えば「伝奇の匣」の芥川の巻を芥川初心者に勧めるはちょっとどうかと思うのと同じように、この本をノヴァーリス初心者に勧めるのは躊躇される、ような気もする。
それはともかく、今回の新訳は註の充実が嬉しい。註が巻末に回らず本文の対向ページにあるのもまた嬉しい。「サイスの弟子たち」は、たとえば「オーレリア」と同じく、注釈なしで読み勧めるのはまず不可能なたぐいのテキストであるから。