「八本脚の蝶」発刊に寄せて 

八本脚の蝶

二階堂奥歯さんの「八本脚の蝶」がいよいよ書籍化されて本屋に並ぶそうだ。幻妖ブックブログの東雅夫氏の言によると「縦書きの活字で組まれると、サイトで目にしたときよりも格段に凄味が増す」らしい。鶴首して待ちたい。思考を忠実にトレースしていくあの驚くべき明晰な文体は、白いページの上で読むとどう変わるのだろうか。
彼女の文章は一見肉体について書かれてあるようにみえる。しかし世の常の女性作家のように肉体そのものが書かれてあるわけではない。書かれているのはあくまで観念だ。しかしそれは世の常の観念とは違い、皮膚と見紛うばかりに肉体と密着した観念なのである。あたかもボディスーツのように着こなされ、自宅でも外でもしなやかに、寸部の隙もなく本人を包む観念。使い古され今や陳腐になった誰かの言葉をあえて借りれば、「存在的な肉体」が「存在学的な肉体」を身につけているのだ。
「八本脚の蝶」と名づけられる前、彼女の日記は確か「物欲乙女日記」と題されていたように思う。その名の通り、そこには貞操帯やくとぅるーちゃんをはじめとする、さまざまなオブジェが登場する。しかしそれらも、本人の肉体と同様に観念の皮膚を纏っている。……としたり顔で書いてきたが、実は彼女の死後は一度もあの日記を読んでない。いかなる意味でも「楽しんで読める」ものではないから。こちらに向かい突きつけられる刃(やいば)であるから。上に書いたことは当時リアルタイムであれを読んだ衝撃の残響にすぎない。しかしいま書いたことがどの程度当たっているか、それを確かめるためにも改めて書籍版を開いて見なければ。