あなたほど少ししか時間を持っていない人はいないというのに


 高遠先生のブログに教えられセネカ「幸福な人生について」をパラパラめくってみる。セネカはこれまでマリオ・プラーツ経由でしか読んでなかった。つまり、トマス・キッドやジョン・ウェブスターなどエリザベス朝流血惨劇の先達としてのセネカである。だから、その人生論エッセイを開くのは恥ずかしながら今日が始めてだ。高遠先生の引用されている部分の少し先にこんなことが書いてある。(テキストは岩波文庫・茂手木元蔵訳)

ところが民衆というものは、自分の落度は棚に上げて、理屈に合わないことをするのが常である。だから、こんなことも民会の中で起こる。自分がそこで投票した人物が、ひとたび法務官にでも選ばれることになると、投票した当人でさえそれにびっくりする、といった有様である。気まぐれな人気が向きを変えたのである。われわれは同じことでも、時には誉めるが、時には咎める。これが、多数の者に同調して下したすべての判断の結末である。

 まるで少し前に行われた某選挙のことを言っているかのようではないか。

 ところで、昨日コミケで売った「タイムマシンの旅」の中にこんな一節がある。二日後の未来へ行ったタイムトラベラーは、そこで物理学専攻の美しい女子大生グローリアに会うのだが、両者の間でこんな会話がなされる。(p.65)

僕は機械のサドルに跨った。「あとですべてをお話しましょう」
「あなたのことをお話ししてくださるの?」興味深げに彼女は尋ねた。
「ええ、旅行中に起こったことはすべて」
「あら、でもそれはどのみち、どの新聞にも載ることだわ」
「でもあなたに一番初めにお話しましょう」
「そんなことお願いできませんわ。あなたの貴重な時間を奪うことになりますから」
「でも僕ほどいっぱい時間を持つ者はいませんよ。なにしろ世界中のすべての時間は僕のものなのだから」
見知らぬ娘はすぐには返答しなかった。しばらくして小さな声で言った。「あなたはそう思ってらっしゃるのね。あなたほど少ししか時間を持っていない人はいないというのに」
「いったい何を言ってるんです」


 この部分を読んだとき、これは恐らくタイムトラベラーの未来に大変な不幸の起こる伏線ではないかと思った。その不幸は、この時点ではタイムトラベラー自身は知らないが、未来の人であるグローリアは知っているのではと。しかし今思い返せば、明らかに彼女はセネカ的意味でこう言っていたのだった。ああ、一週間ほど早くセネカを読んでおけばよかった!