「少女七竈と七人の可愛そうな大人」

野性時代 vol.25 (2005 12) (25) KADOKAWA文芸MOOK 25

野性時代 vol.25 (2005 12) (25) KADOKAWA文芸MOOK 25

早いもので連載はもう三回目だ。しかし今後どういう風に進行していくのか予断を許さない。そもそも物語は独特の緊張を保ちつつも、事件らしい事件はまだ起こっていない。
連載第一回目では、物語はすべて、エキセントリックな少女七竈の目を通して語られていた。だからいったいどこまでが客観的な真実であるのか、いわゆる叙述トリックが仕掛けられているのではないかと眉につばをつけ読んだものだ。「キハ八兆」とか、主人公の正気を疑わしめるような描写もあったことだし。
ところが連載第二回で語り手が変わる。それに意外な語り手に。この第二の語り手が語る内容と第一の語り手(七竈)の語る内容に矛盾点はない(と思ったが、もしかしたら見落としがあるかもしれない)。かくて七竈の正気は保証され、その語る内容も客観的に真実であることが保証された――のだけれども、この第二の語り手は妙なことを言う。「それはおれのよく知る匂いだった。死だ。死がやってくるのだ」 ナニコレ?
そして第三回目。これも意外な人物の視点から語られるので、読みはじめたときは、舞台が違う場所に移ったのかと思った。これはあたかも、例えばむかし中村真一郎が試みたような心理小説のようだ。ある特定の人間関係のサークルで、互いが互いを観察する心理の綾から構成される物語。しかし大きく違うのは、心理小説に特有のサロン的な駘蕩とした雰囲気はこの作品には微塵もなく、もっと切迫したものが作品から感じ取れることだ。等しなみに毅然として生きる女たち。こちらまで喝を入れられるようだ。
しかしそれにしても、一筋縄ではいかぬミステリ好きの作者のことだから、大掛かりな叙述トリックが仕掛けられているのではないかという疑いはいまだに消えない。さてこれからどうなっていくのだろうか。そして「キハ八兆」とか「死の匂い」とか言う妙な伏線はどのように回収されるのだろう。