逆転世界

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)

抜群にうまいストーリーテリング*1に乗せられ一気に読んだ(あまりむごい事が起こってくれるなとハラハラしながら)。特に終章のサスペンスの盛り上がりは圧巻である。
誰かの小説について誰かが「ネジ一本に至るまで自家製のもので組み上げられている」と評していたが、この作品についてもまったく同じことが言えるように思う。実在するようでいながら架空の舞台、「原始人」の挿話、○○○、○○○……。
と書くと、すぐさま突っ込みが入るかもしれない。この作品には古典ミステリ作品からの引用がいくつも散りばめられているではないかと。「○○殺人事件」とか、「○○○○い○○」とか、「○○の○」とか。しかしそこにもこの作の独創性があるのであって、この作品においては、それらの古典作品のプロットは、いわば「神話」として機能している。ちょうどジョイスの『ユリシーズ』において『オデッセイア』がそうであったように。
ゲーム好きの主人公がドラゴン〜「バトルモード」〜バトルアックス〜ダンジョンでの決闘というふうにゲームの文脈を己の(意識化されざる)神話として行動し、ミステリ好きの副主人公は、ミステリを己の行動原理とする。それらがストーリーにまったく自然に溶け合いポリフォニックな味を醸し出しているのも、この作の嘆賞すべきところだと思う。
しかしこの何から何まで自家製の世界にも、ありがちのものが異物のように二つ存在している。アル中と遺産相続。まさしく「洞窟の外に熊がいるように、子供の世界の外には大人がいる」。
でも、このアル中とか遺産相続とかいった凡庸さは、あるいは作者が大人に向けた小説を書く上で手加減したのかなとも思う。つまり、普通の作家は一般向けの作品に全力投球をし、ジュブナイルには(たとえば性的な表現を抑えるなど*2して)何らかの手加減をするものだが、それがこの作家の場合逆転しているように見える。つまり、普通の作家がジュブナイルを書くような心持で、この人は一般向け小説を書いているのではないか。それがたぶん典型的にあらわれているのは、『砂糖菓子〜』の担任教師とこの作品のおじさん警察官の書き分けかただ。どちらも主人公の側に立つ二人の大人でありながら、担任教師の場合は「もしかしたら先生もかつてのサバイバーだったのかもしれない」と思わせる性格設定になっていて、それが間接的に大人の世界の恐ろしさとその広がり――もう百歩か一万歩か行けばもしかしたらサドの世界に到達するかもしれない雰囲気――をおぼろに浮かび上がらせる効果を持っている。ところが本作品のようなおじさん警察官が登場すると、大人の恐ろしさは「アル中」と「遺産相続」の二つの特異点として現れるにすぎなくなってしまう。つまりそれだけ本作品の方が健全になっている(毒抜きがされている)わけで、まさにこれは一般作家がジュブナイルを書くときの態度である。この人はそれだけ大人の世界に不信感(というのは明らかに言いすぎだが、他にいい言葉が見つからない。大人が子供を見るような意思不通の感じ?)を持っているのか、とチラと思ったが、何かの勘違いかもしれない。十月に発売されるはずの新刊を楽しみに待とう。

*1:エピソードのつなぎ方なんか天才的! 特に冒頭に出てくる溺死体が、もう死んでいるくせに、話の要所要所で、出てくるたびに違う役割を担わせられながら現れるのには凄い凄いと唸りまくった。これは横溝の「三本指の男」より凄いかもしれない。本格ミステリかどうかよく分からない本作の中で、たぶん一番本格の香りがするのはこの死体であろう

*2:例えば『砂糖菓子〜』のp.171のような描写は本作品にはあらわれない。その点でもジュブナイルと一般小説の関係が逆転している