神によってなされなかったこと

 

 
(ネタバレ気味なので未読の人は以下を読まないほうがいいかもです)

 講談社ノベルス版ではじめてこの作品を読んだとき、マッケン『三人の詐欺師』の本歌取りと信じて疑わなかった。大都会の隠者である二人の探偵役、登場人物数を実際の何倍にも見せる一人多役、作中作、そして人体損壊で幕を閉じる物語――世紀末ロンドンをそのまま現代の東京に再現させた作者の豪腕に感嘆したものだ。
 ……しかしそれはどうやら一方的な思い込みにすぎなかったようだ。作者にお目にかかる機会があって、そのことを聞いてみたら、全然関係ないというお返事だった。
で、文庫版が出たので再読してみると、なるほど〜、これは『三人の詐欺師』というよりは『マルペルチュイ』*1の世界に近い。ノベルス版で読んだとき、自分は一体何を読んでいたのだろうか? 特に最終の10ページくらい(ミーコ姫の「三つのなぜ」以下の部分)は、初めて読んだとしか思えないほど記憶が蒸発している。全然関係ないけれど、最終章「もう一つのエピローグ」はなんとなく中村真一郎回転木馬』を思わせる。共通の原イメージでもあるのだろうか。
本作品の神は最初から神性を剥奪されている。それでもまがりなりにも神なのは、ひとつの世界を創造し、聖書と神話とを民に残したからというからにすぎない。つまり倉阪作品にときどき出てくる「悪しき創造主」(『学校の事件』のレビュー参照)のひとりである。「悪しき創造主」――この世は神によって造られたのかもしれない。しかしその世界は高々一軒のマンションに収まる程度のものかもしれない。
作中作『青い目の人形』にはこうある。「なぜなら、神によってなされたことはすべて童話の中に記されているからです。」ということはつまり、童話に記されていないことは、神によってなされたことではないということだ。たとえば吸血鬼――さまよえるユダヤ人アハスフェルスは神の呪いにより不死となったわけだが、しかし普通に考えれば「不死」とは、あらゆる神/宗教から逃れ得ているということではあるまいか。次の「紫の館の幻惑」でゴーストハンターたちが新興宗教と対決することになるのも故なしとはしない。
 

*1:ベルギーが世界に誇るバカミス=バカゴシックの金字塔。世に「衝撃の結末」は数あれど、これを凌駕するものはとうてい存在し得まい。