独仏幻想ミステリ逍遙(4)レルネット=ホレーニア『僕はジャック・モーティマーだった』

puhipuhi2005-05-07



舞台は戦前のウィーン。主人公はタクシードライバーのフリードリヒ・シュポーナーという青年(右の書影にはいい年をしたオッサンが写っているが、これはなんかの間違いで、われらのシュポーナー君はたぶん二十歳そこそこくらいではないかと思う)。彼にはマリーという恋人がいるにもかかわらず、たまたま客として乗せた美女マリザベレ・フォン・ラシッツに一目惚れしてしまう。さあそれからがもう大変で、ストーカーまがいに彼女の一家が住む高級アパートの周りをうろうろし、なんとか話のきっかけをつかむが、相手は貴族、こちらはしがない運転手、一緒にいた彼女の兄弟に一喝され、ほうほうの体で逃げ帰る。
しかし彼女をあきらめることはできない。仕事中も彼女のことを考え、心ここにあらずのまま、ある日、シュポーナー君はウィーン南駅で外国人らしき客を拾う。彼は「ブリストル・ホテルにやってくれ」と言いながら車に乗り込んだ。
ホテルに近づいた頃、シュポーナーは「どちらのブリストル・ホテルですか? 古い方ですか新しい方ですか?」と客に聞くが。返事がかえってこない。妙に思って後部座席を見ると、これはしたり、客は絶命しているではないか。よく見ると首に一発、胸に二発、銃痕がある。
服を探ると胸のポケットから小型のリボルバーが見つかった。すると自殺か? しかし、いかにリボルバーとはいえ、自分自身に三発も撃ってから、またきちんとポケットに拳銃を戻すなんて芸当は可能だろうか。
――森博嗣魔剣天翔』と似たシチュエーションの不可能犯罪である。とは言うものの、HM卿や黒星警部みたいに「これは動く密室だ」と大喜びするキャラが出てくるわけではないし、作者はミステリ畑の人でもないので、この謎が果たして作品の中心興味なのか、あるいはそもそも、謎はまともに(というのは本格ミステリ的にという意味だが)解かれるのか、それは最後まで読んでみないと分からない。それがある意味非常なスリルでもある。
それはともかく、あわててシュポーナーは巡査に届けようとするのだが、折りしもラッシュアワーの真っ最中で、巡査は彼の言うことにまともに聞こうとはしない。そこで彼はどうしたかというと、なんと、夜陰に乗じて、死体をドナウ川に放りこんでしまうのだ(下の挿絵はその場面。斜めになって流れていくのが死体で、胸まで水に漬かってるのがシュポーナー君)。
さあオレは大変なことをしてしまった、と逆上したシュポーナー君は、ジャック・モーティマー(死体はそういう名のアメリカ人であったことがパスポートを見て分かった)の服を着込み、彼のトランクを提げて、彼が泊まるはずだったブリストル・ホテルにチェックインする。これもまた理解に苦しむ行動だが、レルネット=ホレーニアの小説的には(あるいは、ハプスブルク帝国崩壊直後的には)、際立って変というわけでもない。
ホテルの部屋に入るや否や鳴り響く電話。受話器を取ると、女の声が、彼には全然分からない英語で、何か必死に喋っている。さあどうするシュポーナー君???
――謎の解決方法は、まあ、『魔剣天翔』と兄たりがたく弟たりがたしといったところか(注:褒めてない)。それに、伏線がまったく(というか森のVシリーズ程度にしか)張られていないので、この作品を本格ミステリと称するのは苦しいと思う。しかしバロック的な筋立てと雰囲気は楽しく、連続殺人(?)を扱った「両シシリア連隊」のような重厚さはないものの、オフビート風味が利いた小傑作ではないかと思う。