19世紀の撲殺天使たち


悪魔のような女たち (ちくま文庫)

悪魔のような女たち (ちくま文庫)

 
いままで数種の翻訳が出ている「悪魔のような女たち」だが、中条省平氏の今回の本は、テキストに学究的に向き合い、丹念に読みほぐし明快な日本語にしているところが特徴で、「おおお、ここはこうなっていたのか」と膝を打つ部分が随所にある。一例をあげれば以下のようなところ。この部分は澁澤龍彦訳では、全体の水際立ったスタイルにもかかわらず、妙にもたついていて苦心の跡が見えるような気がするところである。

 けれども不幸にして、この老剣術教師には、剣をもって道場に立つときに上半身に着る、白い革を刺し縫いにした胴着の胸に、一点赤く染め抜いたモロッコ革のハート形よりほか、愛情の対象というものがなかった。それでもやっぱり彼もまた、胴着の下に赤い血の脈打つ本当の心臓を持っている生身の男だということが、やがてわかるようになった。それは彼が人生のやすらぎを求めにやって来たこのV町で、次第に放蕩生活になじんでいったことである。(「罪の中の幸福」澁澤訳 立風書房版p.26)

 ところで、この老剣士は華々しい剣術指南を披露するとき、綿をつめた白い革の胸当てを着けるのだが、その胸にはモロッコ革の赤い心臓を縫いつけて、弟子の標的にしておった。だが、不幸なことに、彼の心臓はこれひとつではなかったのだ……。その下にあるもうひとつの心臓が、幸福な隠遁所を求めてやって来たこのV…の町で、別の指南を始めたのだよ。(中条訳 本書p.144)

(mais, malheureusement, ce vieux prevot n'avait pas qu'un coeur de maroquin rouge sur le plastron capitonne de peau blanche dont il couvrait sa poitrine, quand il donnait magistralement sa lecon... Il se trouva qu'il en avait un autre par-dessous, lequel se mit a faire des siennes dans cette ville de V..., ou il etait venu chercher le havre de grace de sa vie.)

 
わざわざ言うまでもないが、この文章の面白さは、胴衣の赤いハートのマークと本物の心臓、それから剣道の指南と色事の指南のバロック的な(あるいはホッケ風に言えばマニエリスム的な)対比にある。澁澤訳ではあまり明瞭ではないこの対比を、中条訳は簡潔な文章でうまく掬いあげているではないか。(それにしてもfaire des siennesなぞ、まるで難解なクイズのような表現だ! ちなみに中条訳の中の「弟子の標的にしておった」は、原文には対応する部分がない。プレイヤッド版か何かの注釈を本文に滑りこませたのではないだろうか。こういった処理は賛否両論あろうが、すくなくともこの部分だけに限れば、文章のリズムを崩さず文意を明確にする見事な挿入であると思う)


で、肝心の物語だが、失われた貴族社会の再創造にかける作者の気迫が胸を打つ。懐古ではなく創造であるところが肝である。例えば上の「罪の中の幸福」で言えば、印象的な発端から始まって、唯物論者の医師、「王様より王党派」である(おそらく架空の)貴族のユートピアV...町、剣術道場の大人気と、作者が入念に幾重にもこしらえた舞台装置を見よ。また、その語り手も一癖も二癖もある連中ばかりで、聞き手を適当にじらせながら、あるいはときおり入る邪魔をあしらいながら(「ホイスト勝負…」のシビルたんとか)、絶妙な話術で彼の物語を語っていくのだ。つまり、語り手にしても、物語の舞台(フランスの誰も知らないような片田舎が選ばれる)にしても、それが語られる場にしても、すべてが出来合いのイメージにもたれることのない、何から何まで作者の創造による人工的な世界なのである。その意味でこの作品は正しく幻想文学の傑作と言えるであろう。この、知性で統御されながらも情熱的な語りには、ポーの影響が見え隠れするような気がするのだがどんなものだろう?