「子不語の夢」とフリードリッヒ・フレクサ

puhipuhi2004-11-29


 
「子不語の夢」をぼちぼち読んでいます。こういう本を一気に読むのは勿体なさすぎる。 

書簡から看取される乱歩・不木の人格的な大きさにも心を洗われるような気がするが、本書の読みどころはなんといっても下欄に記されたおびただしい注釈である。該博極まる知識を動員して丹念に(本当に丹念に!)書簡を読みほぐしていくその手際は、正直言って書簡そのものよりも何倍も面白い。気配りの不木、老獪な雨村、天然な乱歩、あるいは国枝史郎との鞘当てめいた関係、あるいは岩田準一と仲がよすぎる乱歩に対する不木の嫉妬(?)などの人間関係の機微を、この注釈は次々と洗い出していく。(もっとも話が面白すぎて「これは本当かいな」と首を傾げたくなるところもないではないが)。

この注釈によってこの本は単なる書簡集ではなくて一級のドキュメンタリーと成り得ているのではないだろうか。つまり、突如出現した乱歩という不世出の天才を固唾を呑んで見守る不木ならびに周囲の人々のありさまを、まるで自分もその場に立ち会っているかのように生き生きと眼前に浮かばせる圧倒的な読後感は、注釈の力でなくてなんであろう。

ところで本書の前半の山の一つに「白昼夢」を巡るやりとりがある。ここで不木は「最近読んだフレクサの長編探偵小説に似たようなのがありました」と手紙に書いて乱歩をしょげさせるのだが、このフレクサの長編というのは、たぶんここに書影を掲げたDas Geheimnis des Inders Praschnaではないかと思う。生体マネキンの話である。作者のFriedrich Freksa(1882-1955)はペルッツとほぼ同時代にベルリンで活躍した作家。

でもパラパラとめくって見た限りでは、これは探偵小説ではなく、ホフマンの影響を受けた幻想小説と呼ぶ方が正しいような気がする。ナタニエルなんて名の登場人物も出てくるし……。もっとも不木にとっては探偵小説と幻想小説の境界などあって無きが如しだったのかもしれないが。

追記:フレクサには"Praschnas Geheimnis"と"Das Geheimnis des Inders Praschna"というタイトルの似ている2冊の本があるが、確認してみたら中身は同じだった。不木が読んだのは「プラシュナの秘密」という題から見て、前者の版であろう。