『スピリディオン』再説

 

ふらんす幻想短篇精華集―冴えわたる30の華々

ふらんす幻想短篇精華集―冴えわたる30の華々

 
藤原義也さんにリファをいただいた。嬉しいのでもう少し話を続けるなり。
まずミステリ的な技巧で面白いのは、この小説がいつどこの話なのかが、最後から三ページ目で始めて判明する点だろう。そもそも修道院の生活などというものは、ヨーロッパのどこであろうと、あるいは何世紀であろうとたいして変わりがないから、その中だけで物語が進行している限り、時間と場所をあえて明示的に特定する必要がない。おまけにフランスでは、例えばウィリアム・テル→ギヨーム・テルというように、固有名詞は全部フランス風に変形してしまうから、人名から舞台を推定することも難しい(でもこの翻訳ではおせっかいにも現地風の名前にわざわざ修正している!)。ただし、作者が意識的にこういう技巧を使ったのかどうかはよく分からない。単なる天然さんだという可能性も大いにあり。
それからゴシック・テイストで嬉しいのが、唐突な血まみれで物語が終わることだ。いきなり血まみれ! これこそ「オトラント」や「マンク」の遺鉢を正しく受け継ぐ、"gothically correct"なラストシーンというものである(そんな言葉はないけど)。僧侶が血まみれというのもポイントが高い。というか、そもそもゴシックの何たるかが頭にないと、どうしてこんなあんまりなラストになるのか理解に苦しむのではなかろうか。そんなこともないのかな。
個人的には「放浪者メルモス」の影響を感じる。迫害のテーマとか、枠構造の物語とか、卑俗と隣合せになった聖なるものとか、執拗なダイアログとか…… バルザックに「神と和解したメルモス」(1835)という小説があるので、マチューリンのあの小説は当時のフランスでもある程度ポピュラーだったと思う。
(上の本は「スピリディオン」の抜粋訳が収録されたカステックスのアンソロジー