手錠いろいろ

H:・・・『下宿人』に話を戻すと、あの手錠は、思うに、むかし読んだドイツの小説に、ある男が一日だけ手錠をはめられるはめになってそのためにどんなにいろいろな問題に遭遇しなければならなかったかという話があって、それにかなりのヒントを得たんだよ。

T:そのドイツの小説というのはレオ・ペルッツの「九時から九時まで」ではありませんか? 一九二七年ころF.T.ムルナウが映画化しようとしたことがありますね……。

H:たぶん、それだと思う。

                     (ヒッチコック/トリュフォー『映画術』p.41)

ヒッチコックトリュフォーの二人とも『九時から九時まで』を読んでいて、ツーカーで話が通じているのがなんとなく愉快だ。戦前にはペルッツはイギリスでも人気があったようだから、ヒッチコックが知っているのはそれほど不思議ではないにしても、1932年生まれのトリュフォーはいったいどこでペルッツを知ったのだろう? ナチのユダヤ人作家排斥のせいもあって、つい最近までまったく忘却の淵に沈んでいたはずなのだが……。ムルナウ経由なのかな?

それはともかく、エリック・アンブラーもこの『九時から九時まで』をヒントにして一幕物の劇を書いたそうだ。彼の自伝"Here Lies*1"に書いてある。この自伝はジョイス『若き日の芸術家の肖像』とかシリル・コノリー『不穏な墓』とかデューナ・バーンズ『夜の森』とか本の名がやたらに出てきて楽しい本*2なのだが、中にこんなくだりがある:

同じときにジネット夫人のために僕が書いた一幕物のタイトルを思い出そうとしてもなかなか浮かんでこない。そのアイデアなら思い出せる。なぜならそれはオーストリアの小説家レオ・ペルッツから盗んだものだからだ。一人の男が警察の拘留から逃れ、一昼夜の間、身につけられた手錠から逃れようとする話だ。ドイツの小説家レオ・ペルッツが書いた、当時のドイツの映画会社が好んだ、登場人物の印象深いシーンでアクセントをつけた金のかからないロケーション尺数がふんだんにあるといったたぐいのスリラーだ。僕はこれをもとに45分の劇を書いた。舞台はティーショップにした。アラン・マーチン・ハーヴェイが手錠の男の役をやり、ギルドホールの学生たちがその他の役を演じた。(Eric Ambler "Here Lies" p.116)

なぜ手錠がこんなに受けるのか? もちろんそれはSMとかそういうのじゃなくて、たぶん並木士郎さんの『Yの悲劇』とパトリシア・ハイスミス論「夢のような探偵小説について」で論じられているのと似た事情なのではないか。つまり「手錠をはずそうと思ってもはずせないまま町中を歩き回る」というのは、だれもが見るような、ありがちな夢のなかの経験であって、実際に経験したことはないものの、無意識のうちにシンパシーを感じてしまうのではないだろうか?

*1:たぶん「エリックアンブラーここに眠る」と「ここで嘘をついている」の二つの意味をかけていると思う

*2:もっとも本の内容の話はあまりない