「PEGANA LOST No.9」「夢見る人の物語」


未谷おとさんの西方猫耳教会から「PEGANA LOST No.9」が河出文庫の「夢見る人の物語」とほとんど期を同じくして出た。まことに目でたいことだ。「ぺガーナの神々」でしかダンセイニ卿を知らない人の中には、なんとなく近寄りがたい神話創造者というイメージを卿に対して持っている人もいるのでないかと思う。しかし河出でこれまで出た二冊を読めば、ちょうどわれらの坂田靖子さんと一脈通ずるような、現世と異界が地続きとなり、それらを両股にかけて自在に物語を紡ぎ続ける、より親しみやすいダンセイニに出会えるのではないだろうか。
「PEGANA LOST No.9」には稲垣博氏の訳で、自伝"Patches of Sunlight"の一部が載っている。これはちょうどモンタギュー・サマーズ師の"Galanty Show"やジェイムズ・ブランチ・キャベルの"Let me Lie"と同様に、自伝というよりは回想録と名づけた方がいいような、肩肘張らない座談調の文章である。安楽椅子にでも座り、次から次へ語られる卿の思い出話に耳を傾けるつもりになって、共に夢見心地になればよいのではと思う。
この自伝が新刊で出た当時(1938年)、ボルヘスが隔週雑誌"El Hogar"で当時担当していた書評欄で「夢見る人の物語」と絡めて紹介している。よい機会だからその一部を引用してみよう:

 軍服姿や狩猟服姿の肖像で飾られたこの本は、ダンセイニ卿の自伝である。これは故意に告白を省略した自伝である。この省略は誤りではない。自伝の中には無慈悲にも私たちに親密さを強要するものがある。そのような慣れ慣れしさは私たちを辟易させる。別のタイプの自伝は、日没ひとつを記録するときも、虎一匹に言及するするときにも、おそらく無意識のうちに、書き手の魂の独特のスタイルを何らかの形で開示する。最初のものの例としてはフランク・ハリス、二番目の例としてはジョージ・ムアや・・・そしてたぶんダンセイニ卿もまたこの間接的な手法を好んでいるようだ。ただ、この手法は、彼の手になると、いつも効果的に使われているとは限らないのが困ったことではあるのだが。

 ダンセイニ卿に想像力という美質が欠如してはいないことを認識するには、「夢見る人の物語」の中の何篇かを思い出すだけで十分である。たとえば、秘密結社のために果てしなくテムズ河の泥中に埋められた男の物語*1、あるいは砂嵐の物語*2、あるいは未来の戦死者に憑かれた野原*3。しかしながら、彼は「天と地、王と人民と習俗」を創造したと言い切るのは間違いなのではないかと思う。この広大な創造は、漠然とした東洋的雰囲気で補強された一連の固有名詞に限定されているような気が私にはする。これらの名前はウィリアム・ブレイクの宇宙誌に恐怖を与える名前(オロロン、フソン、ゴルゴヌーサ)ほど無力ではないにしても、グロームやムロやベルズーンド、ペルロンダリス、ゴルヌス、キフ*4命名者の歓喜をともに分かち合うのは、あるいは「驚異の町バブダルン」の代りに「驚異の町バブルグンド」と書いてしまった彼の後悔を分かち合うのはわれわれには難しい。
(中略)
 この無秩序だが快適な本の中で、ダンセイニ卿は時計とガゼルについて、剣と月について、天使と百万長者について語っている。しかしこの広い宇宙に彼が扱わない話題が一つだけある。その話題とは文学者である。この驚くべき省略には二通りの説明が可能である。第一の(より卑俗な)説明は、文学者たちも彼のことを語っていないからということ。二番目の(よりもっともらしい)説明は、われらが都市のお飾りになっている連中たちと同じように、イギリスでも文学者はいてもいなくてもいい人たちなのではないかということである。(Jorge Luis Borges, Textos Cautivos, pp.265-266)

*1:「潮が満ちては引く場所で」:河出版p.211

*2:「ベスムーラ」同p.221

*3:「野原」同p.337

*4:「ヤン川を下る長閑な日々」同p.231