暗い広場の上で(ヒュー・ウォルポール)  ISBN:4150017565


これは「三人の詐欺師」や「新アラビア夜話」と同じく魔都ロンドンの物語である。

……たとえばパリはね、あすこはある程度の研究をつめば、ひととおりの知識をつかめるようになれるが、ロンドンというところは、これは常に神秘だよ。かりに君がパリに行けば『ここは女優の住んでるところ、あすこはボヘミアンの住むところ、ここはごろつきの住むところ』と言えるだろう。ところはロンドンはまるで違う。そりゃ洗濯女の住んでる区域はどことどこだと、正確に町名をさすことはできるだろうが、あすこの二階にはカルディの根を勉強してる男がおるし、すじ向かいの家の屋根裏では、無名の画家が刻々に死に瀕しているかもしれんしな」

とマッケンも「内奥の光」ISBN:4806065269 で力説している通り、そこは、いかなる奇怪な事件が起こっても不思議ではない、またいかなる卑小な人間も一種の魅力に輝く場所だ。拙豚など、こういうロンドンを舞台にした小説を開くたびに「火星の運河」の出だしが頭に浮かぶ。「またあそこに来たなという寒いような魅力がわたしを捉えた」
ボルヘスはこの作品を、彼が死の直前に編纂を企図した叢書"Biblioteca Personal"に加えている。その序文にいわく:

……レッシングは物語は連続的でなくてはならず、説明的であったり停滞してはいけないと教えた。ヒュー・ウォルポールは物語を物語る術を心得ている。ちょうどサガのように、彼は性格を分析する代わりに、行動によってそれを読者に目の当たりにさせる。ゾロアスター的な二元論が彼の作品を支配している。登場人物の性格は善か悪、英雄か悪漢かのいずれかである。彼はわれわれに言う。世界で一番邪悪な人間がいて、神秘的なことに、それはわれわれが作り上げたものだと。この小説の筋は一晩のうちに進行するが、その一晩は、アラビアの千夜一夜譚のように多彩である。この物騒な、波乱に満ちた本の眩暈と冒険の始めから終わりまで、一つの護符が一貫して語り手を守り続ける。それは一冊のドン・キホーテであった。
 十八世紀にホレス・ウォルポールはゴシック小説を発明し、今のわれわれには馬鹿馬鹿しく思える方法でそれを試みた。ヒュー・ウォルポールは、冥界からの助力を借りることなくしてこのジャンルの頂点に到達した。……
(J.L.Borges Biblioteca Personal (Alianza) pp.114-115)

ここでボルヘスは――彼のすべての文章と同じく――短い表現の内にいくつも面白い指摘をしているが、ここではそのうち二つに注目したい。一つは護符としての「ドン・キホーテ」。この小説の登場人物の中で幸福を掴むのは主人公(語り手)一人と言ってよいと思うが、それは彼が「ドン・キホーテ」の愛読者だったことと無関係ではなかろう。
もう一つはこの作品を「超自然要素なくして達成されたゴシックの頂点」と見る視点である。「ゴシックの頂点」という過大な評価はいささか?であるものの、言われて見ればこの作品、例えば悪の取扱いや筋の運びにおいて「悪の誘惑」や「放浪者メルモス」とそれほど遠い位置にあるとは思えない。登場人物たちのギクシャクした動きも、ゴシックの伝統を継承していると思えば妙に納得できるから不思議だ。