ゴシックよもやま話(5)『幽霊屋敷 (開巻驚奇 龍動鬼譚)』

ハーンが「英語で書かれた最上の怪談」というブルワー=リットン「幽霊屋敷」であるが、これは創元推理文庫「怪奇小説傑作集」の第一巻巻頭に収録されている。しかし、この巻には『ポインター氏の日録』『パンの大神』『緑茶』『猿の手』『炎天』『秘書綺譚』『いも虫』といった、いずれ劣らぬ黄金期超絶傑作群がてんこ盛りなので、幽霊屋敷は相当に割を食っているのではないか。おかげで駄作感が横溢――というのは言い過ぎとしても、少なくとも古めかしさがひときわ際立ってしまっているのは否定しえないところだろう。

『パンの大神』にしても『緑茶』にしてもその他の作品にしても、超自然の存在が読者の裡におのずから膨らみ、その実在を直観的に把握させるように物語が構成されている。しかしこの「幽霊屋敷」は作中の超自然現象を後半で疑似科学的に説明してしまうのだ。しかも作中の超自然現象は実は「超自然」ではなくある種の人間に備わっている能力であるというオチがつく。当時のフランス系オカルティズムの悪い側面からばかり影響を受けたのではないかという気もするが、拙豚がブルジョワやなーついていけんわーの思ったのはここらへんで、つまり、「超自然」というものに対するセンス(あるいは畏れ)がどうもこの作品には欠如しているのではないだろうか。乱暴に言えば、この作品の主人公が超自然を怖れるのは、普通の人がヤクザを恐がるのと大して違わないレベルなわけだ。

で、この作品にハーンはどういう美点を見出しているかというと、それは東大での講義『小説における超自然の価値』(これも「伝奇ノ匣」に収録されるらしい。実に用意周到な編集である)で説明されている。一言にして言えば、この作品は我々が見る悪夢のみごとな文学的再現であると言うのだ(でその背後には夢とghostと文学に関するハーン一流の考えがあるのだが、それは本文を読んでいただくとして)。つまり自分流にパラフレーズして言うと、この「幽霊屋敷」は「電気の敵」や「ミイラの花嫁」と類縁の作品だと言うのだ。

言われてみればその通り、幽霊屋敷を構成する諸エピソード―(幽霊屋敷―二通の手紙―細密肖像画―リチャーズ氏)―は夢の論理で連鎖されている。つまり明瞭な因果関係はないが相互に干渉しあうものとして物語られる・・・のだが、いかんせんこの世俗的な文章では、いかに平井呈一の訳文をもってしても、読者をもろともに悪夢の世界に連れ去るのは難しいのではないかと思う。

・・・しかし、まだ一抹の希望はあるのだ。聞くところによると、この「幽霊屋敷」は「開巻驚奇 龍動鬼譚」というタイトルの井上勤訳で伝奇ノ匣におさめられるそうではないか。井上勤と言えば思い出すが、富士川英郎『茶前酒後』に引用されていたアラビアンナイトの翻訳(『全世界一大奇書』)は素晴らしかった。この人の麗筆で読めば、鈍なる自分といえど卒然として幽霊屋敷の真価を悟ることができるかもしれない。また、荒俣宏「本朝幻想文学縁起」によれば、この「龍動鬼譚」、井上勤の序文が相当に感動的なものらしい。これもまた楽しみである。