『The End』/『城』  ISBN:4575234885/ISBN:4560047030 ―測量について―


『耳らっぱ』では、聖杯の奪回は同時に世界全体の奪回に他ならなかったが、その消息は『The End』の物語内でも同じで、「The Endなるもの」の奪回はまた世界の奪回でもある。なぜそうなるのかをこれから見ていこうと思う。
まず第一のポイントとして、奪回とは奪い返すことであるから、世界を奪回するということは、その前提として世界があらかじめ奪われていなければならない。『The End』の作品世界において、世界はあらかじめ奪われているのだろうか?
それを見るためにはカフカの『城』と対比してみればいいだろう。『城』では、よそものとして村に滞在する主人公のKは測量技師であった。ところが、『The End』で偏執的に測量を行っているのは主人公ではなく、逆に町の住民である。これは、とりもなおさず、町の住民こそが「よそもの」であることを意味している。つまりこの世界は『城』の世界とは反転しているのだ。
最近出たA.W.クロスビー『数量化革命 ―ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生―』(ISBN:4314009500)の冒頭にはこう書いてある。

ヨーロッパの帝国主義者は数多の帝国主義者の中で最も残酷だったわけでも、最も情け深かったわけでもない。また、史上最初の帝国主義者でも、史上最後の帝国主義者でもなかった。かれらを比類ない存在にさせているのは、彼らが最も成功したという事実である。この事実は、今後も永遠に覆されないだろう。なぜなら、地球の一地域に居住する人間集団が他の全ての人間集団に対して、これほど圧倒的に優位な立場を享受するという状況が再来するとは思えないからである。(同書p.7)

そしてその成功の原因を同書は「測量(数量化)」に帰する。ことほどさように侵略と測量とは、切っても切れない関係があり、測量を行うのは、常によそもの―奪略者―の方なのであった。


(たぶん続きます)