『The End』/『耳らっぱ』(その2)  ISBN:4575234885/ISBN:4875023731


ところで、十字架上のイエスの血を受けた(あるいは最後の晩餐で使用された)とされる聖杯であるが、それは当初からそういう性格を持っていたわけではなかった。事実、聖杯を題材にした最古の作品といわれるクレチアン・ド・トロワ『ペルスヴァル』(ISBN:4560046018)ではその来歴は何も記されていない。聖杯が聖書の記述と綯い交ぜられてキリスト教化される以前、それはケルトの吟遊詩人たちによって口承された伝説だったという。
そして、キャリントン『耳らっぱ』は、まさにその、キリスト教世界に強奪された聖杯の再奪回の物語である。

人間の三位一体の神を崇拝する地の子どもたちに災いあれ。杯を彼女の手からもぎとった不毛の兄弟たちに災いあれ。(工作舎版p.126)

主人公、92歳の老婆マリアン・レザビーは家族から厄介者の扱いを受け、「同胞愛の光の泉」なる団体の運営する養老院に押し込められた(巻末解説によればこの養老院の院長のモデルはグルジェフだそうだ)。そこの食堂で彼女は不思議な魅力をもつ修道尼、サンタ・バルバラ修道院尼僧院長の肖像画と出会う。同じ養老院に住む友人の黒人女クリスタベル・バーンズから主人公は一冊の黒革表紙の小型本を手渡される。そこには尼僧院長の奔放な生涯が記されていた。問題の聖杯は、尼僧院長の遺品である「ヘブライ語で記された羊皮紙の巻物」の中で、次のように記される。つまり物語は二重の枠構造を持っていて、聖杯の起源はその枠の中の枠の中で語られているのだ。

太初に女と男、いわゆる双子の二精霊が存在した。彼らは初めに生命と霊気と、生命の霊気を湛える聖杯を想像した。
そして翼あるもの「または羽毛のある両性具有者、セフィラ」が誕生したのは、これら二つの精霊が出会ったときであった。
以来聖杯は実を結ばなくなってしまったのである。杯の不毛の看守がこのうえなく密やかな神秘であるエポナ・バルバルス・ヘカテの洞窟の正当なる領域から彼女を追放したからである。(工作舎版p.126)

このくだりには、『The End』のテーマでもある二つの精霊、翼あるもの、そして聖杯(?)が倒立されて嵌め込まれている。「倒立されて」といったのは、上の引用では「太初」が語られているのに対し、『The End』で語られているのは「終わり」であるから。


つまり拙豚の見るところ、小説『The End』は「The Endなるもの」の奪回の物語なのである。


(たぶん続きます。今年中に終わればいいのですが…)