レムにしてもサドにしても、彼らの本を読むときのポイントは、その怪物性をそのまま受け入れることではないのか。これは何も盲目的に崇拝せよとか畏れ入れとか言うことではなく、「もしかしたら人間以外の存在が人間の皮をかむって、これらの本を書いているのではないか」と疑いつつ読む、ということだ。(あるいは、あなたの持っている既存の「人間性」という概念を一度チャラにして読む、と言った方が分かりやすいか? でもこれでは何か違うし、第一安っぽすぎる)
なにしろ倉阪ホラーだって実は秘書のミーコ姫が書いてるという噂もあることだし(そんな噂はないですか? だったらすみません)、小説なんて人が書いてるのか鬼が書いてるのか、それとも猫が書いてるのか牛が書いてるのか、根本のところでは分かったものでない。
SFマガジンの特集で、フランツ・ロッテンシュタイナーは「レムは自分で言うほど本を読んでねえ。あいつの年間図書購入費はたった千マルクだが、おれなんか一万マルクも買ってるよ〜ん(パラフレーズ)」と盛んにレムを叩いているが、それは、サドがアルクイユ事件で実はそんなに残虐なことはしてないと主張するのと同じ位にどうでもいいことだ。まあ本は読まないより読むほうが良いし、「ひのまるひのまる〜」とか言いながら奥さんの顔に煙草の火を押し付けたりはしないほうがいいとは思うけれど(それともこれは別の人の話だったか?)