『江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼』(光文社文庫)

この巻には、「猟奇の果」の流布本と異なる結末が異文(ヴァリアント)として収録されている。これが本書最大の目玉といってよかろう。
この「もうひとつの結末」は、新保博久氏の解説によると、終戦直後の仙花紙本時代、知り合いの出版社の求めに応じ「猟奇の果」を復刊した時、話をオリジナルの前半部分だけで終わらせるために新しく書いたものらしい。当然代作が疑われるところだが、拙豚の怪しげな眼力で見るところ、まず九分九厘乱歩が自分で書いたものと思う。
ではなぜわざわざそのような労を乱歩は取ったのだろうか? まあ要するに既存の結末に満足していなかったためであろう。実際、「猟奇の果」の後半は無理やり引き伸ばした感が強い。乱歩は自著自解でも「編集の横溝たんが続けろ続けろとうるさく言うもんだから、後半は無理やり『蜘蛛男』風にして何とか最後まで持っていった(パラフレーズ)」みたいなことを言っており、巻末には「支離滅裂でスマン(パラフレーズ)」みたいな、異例の「作者のお詫び」までが載っている。
で、この「もうひとつの結末」であるが、拙豚はこの方がオリジナルより抜群にいいと思う。ちょうど7月20日で拙豚が述べた稲生物怪録みたいに、結末を差し替えたことで作品全体の意味合いが180度転換しているのだ。この新しい結末(および後半部分の削除)により、「猟奇の果」は乱歩作品群の中でCクラスからBクラスへの格上げになったと思うのだが、いかがなものだろう? たとえば次のような品川四郎のセリフ:

「種明かしが必要かね。どうも必要らしいね。いいか、君は退屈病患者だ。あらゆる猟奇をやりつくして、あとには本物の犯罪が残っているだけだった。人殺しが残っているだけだった。だが君はそこまで進む勇気がなかった。なくって仕合せさ。でなければ今頃は刑務所か首吊台だぜ。その出来ないことを見事にやって見せた。君のためまた僕のためにね。君はそれで暫く退屈を忘れ切ることが出来たし、僕は僕でまた、君のような利口なやつをだましおおせる楽しみを、つくづく味わったのだからね」  (p.593)

スゴク(・∀・)イイ! こんな文章は乱歩以外の誰が書けるだろうか(拙豚が九分九厘代作ではないと書いたのはこれが理由である)。この年になって乱歩の新しい文章が読めるとはアリガタヤアリガタヤである。このパラグラフだけのために980円払っても惜しくないとさえ思う。――ここには「二銭銅貨」から「怪人二十面相」に至る乱歩作品のライトモチーフ――探偵好き同士が頭脳を競う知恵比べ――が朗々と響きわたっているではないか! それに、乱歩作品のもう一つの隠されたライトモチーフ――同性愛――さえもほんのりと匂ってくるではないか! 親友をまんまとだますためだけに、物凄く大掛かりな手練手管を駆使した品川四郎は二十面相を思わせるし、彼に手もなく翻弄される青木愛之助はまるで小林少年である。「種明かしが必要かね。どうも必要らしいね」のような、妙に切迫したセリフは、「キミ、フルエテイルネ、コワイノカ」と囁く宇宙怪人を連想させないだろうか。きっとこの青木愛之助は美形で属性受に違いない。そう確信した拙豚であった