鮎川哲也は、なぜ我々をハッピーにするのか? (その1)


巌谷小波お伽文庫はまだ出てこない。代わりに今度は角川文庫版の『黒いトランク』が出てきた。この本の天城一の解説は天下の名解説だと思う。拙豚は寡聞にして、これほど鮎川作品の魅力を的確に述べた文章を他に知らない。角川文庫も手に入れ難くなっているようなので、この機会に、少し長くなるがそのサワリを引用するなり。

敗戦後四年、インフレは昂進中でした。食糧は配給化にありました。隅田川の水が澄んで、白魚が泳いでいました。街には自動車の影はほとんどなく、広い埃っぽい道が、ずーっと向こうまで見通せるほどでした。この終末論的風景の背後には、征夷大将軍マッカーサーの率いる日比谷幕府の絶対権力が、四つの島の上に拡がっていました。しかし、鬼貫の眼を通すと、米軍の姿はなく、インフレによる人心の荒廃も影が薄く、爆撃による焼け跡の復興が遅々として進まぬ程度にしか、写りません。[…]
そのとき、鮎川哲也の世界が開けます。日本の警察は、岡ッ引き根性とは無縁の、スコットランド・ヤードに変り、警部はエスタブリッシュメントに属するインスペクターになります。庶民たちまでが、英国人風に喋りだします。それも明るいユーモアを以てです。戦前の日本と、第一次大戦後の英国が一つになって、第二次大戦後の廃墟を舞台にして、繰り広げられます。このファンタジーを可能にする場が、鬼貫警部のパーソナリティです。一つの世界が、あるリアリティを備えて、読者の前に広がるとき、犯人の精巧なアリバイが、現実感を帯びるのです。[…]クロフツの場合に欠点とされる、旅行と食事についてのトリヴィアリズムさえも、この作者の場合には、鮎川哲也の世界を現実の世界に糊づけにする、巧妙な接点として、重要な役割を果たしています。  (天城一 角川文庫版『黒いトランク』解説 pp.322-323)

これですよこれ! 鮎川魔法文章を語り尽くして余蘊がないっす! 天城氏は鮎川哲也の親しい友人だったそうだが、こういう情理兼ね備えた解説文を読むと、友は友を知るというか、友というのはありがたいものだとしみじみ思う。
しかし、勘違いしてもらっては困るが、鮎川作品にはリアリティがないと言っているのではない。また、鮎川作品が現実の苦労を知らぬ、おめでたい、坊ちゃん文学だと言ってるわけでもない(まあそれは『黒いトランク』の中の犯人や被害者や被害者の妻の扱いを一瞥するだけでも明らかなのだが)。それは現実を知った上で意識的に構築された別種のリアリティ(=マジック・リアリズム)なのである。上記引用文の「一つの世界が、あるリアリティを備えて、読者の前に広がるとき、犯人の精巧なアリバイが、現実感を帯びるのです」という所がキモである。つまり「アリバイ崩し」というミステリの一つの手法に最高度のリアリティを与えるため、現実が(戦後生まれのわれわれにはもはや指摘されない限り判らぬほど)精妙に改変されているのである。