『無言劇』

無言劇

無言劇

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内田百閒にルイス・キャロルが憑依して書いたようなミステリである。作中延々と続く「片付かない会話」は百閒ファンにはたまらぬと思う。

Weird World6月6日によると、この作品は

もう一つ、「2003本格ミステリ・ベスト10」(原書房)のアンケートに「間違いなく前代未聞でしょうが気づかない読者もいるかもしれないという渋めの仕掛けがあります」と記したのですが、どれくらいの確率で気づくものなのか興味深いところです(それがメインじゃないんだけど)。

だそうだ。しかし悔しいことにその仕掛けなるものが分からない。

それはともかく、これは倉阪ミステリの中で最もフェアに手がかりが提出されている作品ではないか。犯人当てゲームのテキストとしても使用に耐えると思う。誰の目にも触れていながら盲点になる凶器の設定が秀逸。どうせ例によって、最後でちゃぶ台返しがあるにあるに違いないと高をくくり、碌に考えもせず読了してしまって、今少し後悔している。

犯人と思われる人物の独白部分で、その人物の名が「歩」であること、そして、その人物が(作品の主舞台である)胡蝶ビルの住人であることが示される。ところが、登場人物はほとんどの場合、「山崎三段」とか「竹村五段」とか姓だけで文中に現れる。そして各人の名前は章が進むにつれて、一人また一人と徐々に判明していく。主人公の黒杉にしてからが、その名(本名)が判明するのが最後から三章目のX章という体たらくである。

そうして最後から二番目の章(Y章)までで、二人を除いて登場人物全員の姓名が確定する。どの人物の名も「歩」ではなかった。すると、この残った二人の中に犯人はいるのであろうか? たまたま二人とも胡蝶ビルの住人なのだが…(このY章の終わりで、本格派の作家なら「読者への挑戦」を入れるところだろう)

『そして誰もいなくなった』タイプのクローズド・サークルものでは、登場人物が一人また一人と殺されることによって、徐々に犯人候補が絞られていく。(もっとも殺されたと思っていた人物の一人が実は生きていて犯人だったというのは、クローズド・サークルものの常套ではあるのだが…)。この作品では、登場人物が一人また一人と名前を暴露されることにより、(見かけ上)シロになる。面白い趣向だ。この世界では名付けと死は同義なのだろうか。

それから(話はいきなり変わるが)、神と悪魔とが同一のオブジェを身にまとって登場しているのにも唸った(J.B.キャベルの世界みたい)。例えば次のような一節とか:

歌い終えた歩は、ふと思い立って日記帳を開いた。もう久しく何も書いていなかった。書くことがないのだ。
 主へ
そう記してみた。その脇にローマ字を添える。

歩は笑みを浮かべた。佇まいが似ていたからだ。

 (本書p.118 ;ちなみにこれをドイツ語と考えれば、ちゃんと複数形にもなってる…)

あるいはまた、この作品は『火星のチェス人間』や『鏡の国のアリス』がそうであったような、人体を用いたボードゲーム小説でもあった。最初の犯行では将棋(詰将棋?)が、第二の犯行ではオセロが戦わされる。(これは本文中にも明言されているから、「気づかない読者もいるかもしれないという渋めの仕掛」ではないだろう) 

将棋やオセロの駒のように、主要な登場人物は皆「裏の顔」を持っている。もっとも人畜無害と思われるある人物でさえ、ネット上ではハンドルネームを使っているのだ。