『夜毎に石の橋の下で』

ルドルフ2世時代のプラハを舞台にした連作短編集にして、おそらくペルッツの最高傑作のひとつ。王ルドルフ2世とユダヤ人の裕福な商人モルデカイ・マイスル、それに「偉大なるラビ」を中心人物として、錬金術師・宮廷画家・道化師・武人などが入れ替わり立ち代り登場しては彼らの物語を物語る。例えば最初の短編はこんな話である。

1589年の秋、プラハのゲットーではペストがほしいままにその暴威を振るっていた。子供たちがパタパタと蝿のように倒れていく。これは神の怒りの発現に違いないと悟った偉大なるラビは、二人の芸人の助けを借りて、神にお伺いをたてた。
神の遣いである天使は、ペストの犠牲者となった一人の女の子の口を借りて言う。「汝らの中に不倫の罪を犯したものがいる。神はかつてモアブの民を滅ぼしたように、汝らを滅ぼすであろう」

翌日ラビはゲットーのすべての女たちを集め、不倫の罪を犯したものは正直に名乗り出るよう懇願した。しかし女たちは互いに顔を見合わせ、困惑した表情で黙っている。

万策尽きたラビが、ある夜石橋を渡ろうとしたとき、ふと橋の下の薔薇の繁みを目にとめた。赤い薔薇が、すぐ隣の白いローズマリーと絡み合っている。これだ! ラビは土手を駆け下りてローズマリーを引き抜き、呪文を唱えて河に流した。その夜ペストは終結したという。

この話がこれで終わるなら、これはよくできたメルヘンと言えるだろう。しかしこのエピソードは、本を読み進むに連れて、その隠された意味を次第に露わにしていく。そして本を読み終えた読者は悟るのだ。最初は連作短編集と見えたこの小説は、実は時系列を行きつ戻りつしながら、また同時に夢と現実を行きつ戻りつしながら、ひとつの大きな筋を構成していく長編であったことを。そして、冒頭に置かれた薔薇とローズマリーのエピソードは、ちょうどあの「魍魎の匣」のプロローグのように、実は物語の帰結であったことを。