『小鳥たち』

 
この本に収められている短編群は、もともと公表を目的としたものではない。作者アナイス・ニンはシェエラザードとしてこれらの作品を綴ったのだった。つまり、これらの元原稿は、シャーリアル王(あるエロティック文学の老コレクター)の求めに応じて、ただ彼一人を喜ばせるために、一編また一編と執筆されては買い上げられたものなのだ。その法外な報酬によって、彼女と彼女の芸術家仲間はかろうじて露命をつないでいたという。

しかしできあがったものは、Web上でよく見られる「んんっ・・ああっ・・・ンああアッ・・」とかそういうものではなくて、今日の観賞にも耐えうる立派な作品だった。芸術的良心を守ったアナイス・ニンも偉いが、期待を裏切るものを渡されても黙って大金を払った老コレクターも見上げたものだと思う。もしかしたら作品の内容よりも、若い娘にエロティックな物語を書かせるという行為自体に喜びを感じていたのかもしれない。

このような成立事情は、しかし作品にはプラスに作用している。内的必然性なしに書かれた物語たちは、作者の訴えたいこと(=テーマ)から解放され、大空を自由に飛び回る。タイトルとして謳われた『小鳥たち』のように。

透明度の高い文体で語られる、あけすけではあるが卑俗に落ちないエロティックな物語は、すこし前に読んだ『世界の果ての庭』ISBN:4104572012のめくるめく世界を思い起こさせた。もっと遠く記憶をたどれば、『モネルの書』や『架空の伝記』に収められたシュオブのいくつかの短編や訳者自身の物語(例えば『失われた庭』)とも響きあうものをも感じる。

『「父の娘」たち』や『アナイス・ニンの少女時代』などで、再三アナイス・ニンへオマージュを捧げていた訳者矢川澄子氏の、これは最良の訳業のひとつではないかと思う。