『グスタフス・アドルフス』(ハルト)その一

原題は、The History of Gustavus Adolphus, King of Sweden, Surnamed the Great. by the Rev. Walter Harte, M.A. 拙豚の所持しているのは1807年刊行の第三版である。
この本は虫太郎の座右の書だったらしく、黒死館の数箇所に登場している。最も効果的に使われているのは全編の小クライマックスとも言うべき以下の部分であろう。

…と検事が弄んでいたハルトの「グスタフス・アドルフス」を取り上げて、リュツェルン役の終末に近い頁を指し示した。と同時に、二人の顔に颯と驚愕の色が閃めいた。検事はウーンと呻き声を発して、思わず銜えていた莨を取り落してしまった。
――戦闘は九時間に亙って継続し、瑞典軍の死傷は三千、聯盟軍は七千を残して敗走せしも、夜の闇は追撃を阻み、その夜、傷兵共は徹宵地に横わりて眠る。払暁に降霜ありて、遁れ得ざる者は、悉く寒気のために殺されたり。それより先日没後に、ブラーエはオーヘム大佐に従いて、戦闘最も激烈なりし四風車地点を巡察の途中、彼の慓悍なる狙撃の的となりし者を指摘す。曰く、ベルトルト・ヴァルスタイン伯、フルダ公兼大修院長パッヘンハイム……
 そこまで来ると、熊城は顔でも殴られたかのようにハッと身を引いた。そして、容易に声が出なかった。検事は暫く凝然と動かなかったが、やがて殆んど聴取れないほど低い声で、次句を読み始めた。
「デイトリヒシュタイン公ダンネベルグ、アマルティ公領司令官セレナ、ああ、フライベルヒの法官レヴェズ……」とグッと唾を嚥み込んで、濁った眼を法水に向けた。(pp.447-448)

これに対応する部分は、ハルトの本ではこうなっている。

…The soldiers, without any refreshment, slept all night on the hard ground; and on the severe frost, which came on before morning, happened to kill many of the wounded that might otherwise have survived.
The battle lasted about nine hours. The Imperialists lost 7000 men, and Swedes between 2 and 3000. Many more might have destroyed by the latter, but night prevented all pursuit. It is the pursuit, which gives us the long list of dead and wounded …(中略)
Amongst the killed on one side was the KING of SWEDEN, whome the Imperialists pronounced the bravest enemy, and the best general in Christendom: as also the counts Nils and Weissenburg, colonel Gerfdorf, sergeant-major-general Uslar, Ernest prince of Anhalt, count Thurn, and colonel Wildestein. Amongst the slain on the other side may be reckoned the illustrious Pappenheim, the prince and abbot of Fulda, count Bertholt Walstein, sergeant-major-general Breuner, six colonels, and a prince of Ditrichstein. (vol2.pp.373-5)
(…兵糧も尽きた兵達は、固い大地の上で一夜を過ごした。明け方に厳しい霜が降り、それさえなければ生き延びたかもしれない多くの負傷兵の命を奪った。
 戦闘は約九時間続いた。連盟軍は七千、スウェーデン軍は二千から三千の兵を失った。夜の闇に追撃を妨げられさえしなければ、スウェーデン軍はもっと多くの打撃を相手に与えられたであろう。この追撃で多くの死傷者が発生した(中略)
 死者は一方では、連盟軍も最も勇敢な敵にしてキリスト教世界一の名将と称えてやまないスエーデン王、…(中略)…他方ではフルダ公兼大修院長パッヘンハイム、ベルトルト・ヴァルスタイン伯、将軍ブロイナー、六名の司令官、およびデイトリヒシュタイン公であった。)

即ち 黒死館中の「ダンネベルグ、アマルティ公領司令官セレナ、ああ、フライベルヒの法官レヴェズ…」の部分はハルトの原文にはなく、虫太郎による追加(改変)である。call aloud for corks thriceの手口がここにも使われているわけだ。
同時に軽騎兵ニコラス・ブラーエと錬金道士オッチリーユの名もハルトの本には見当たらない(おそらく両者とも架空の人物と思われる)ここにも虫太郎の素晴らしいコラージュ技法が発揮されている。(この項続く)