『催眠的暗示(ハンドブッフ・デル・ヒプノチヒェン・ズゲスチョン)』(ゲルリング)

副題は「実例を基にした、実務家のための、治療-および教育-暗示療法施術入門」。その書き出しは「催眠および暗示は殊に近年、教養ある人士ならば皆話題にしており、ほとんどスローガンと化していると言ってもいいほどだ(p.8)」となっており、催眠術に関する当時の人々の関心の強さが伺える。

黒死館ではこの本は図書室の場における書名の洪水の中に登場する。

心理学に属する部類では、犯罪学、病的心理学、心霊学に関する著述が多く、コルッチの『擬佯の記録』、リーブマンの『精神病者の言語』、バティニの『蝋質撓拗性』等病的心理学の外に、フランシスの『死の百科辞典』、シュレンク・ノッチングの『犯罪心理及精神病理的研究』、グアリノの『ナポレオン的面相』、カリエの『憑着及殺人自殺の衝動の研究』、クラフト・エーヴィングの『裁判精神病学校教科書』、ボーデンの『道徳的癡患の心理』等の犯罪学書。尚、心霊学でも、マイアーズの大著『人格及その後の存在』、サヴェジの『遠感術は可能なりや』、ゲルリングの『催眠的暗示』、シュタルケの奇書『霊魂生殖説』までも含む尨大な集成だった。(pp.339-340)

しかしこの本を心霊学に分類するのは不当かもしれない。というのはこの本は死後の生については何も語っていないからだ。この本は副題にあるように、医療行為としての催眠/暗示を豊富な実例とともに論じた本である。

いわゆる催眠術の根本をなすものは催眠そのものではなく、「暗示」こそがその本質であると著者は主張する。すなわち、催眠とは患者の被暗示性(感受性)を高めるための一つの手段にすぎないと。したがって催眠療法において患者を催眠状態に陥らせることは必ずしも必要ではない。典型的なのはいわゆる偽薬(プラセボ)効果であろう。著者が症例として挙げるのは左官のSch…氏のケースである。

Sch…氏は不眠症のためモルヒネの錠剤を毎晩服用していた。中毒を心配した奥さんが医師に相談すると、医師は乳糖の錠剤を偽って与えるよう勧めた。奥さんがその通りにすると、Sch…氏はモルヒネを飲んだときとまったく同じように熟睡したという(本書p.81)

著者の症例は不眠症をはじめとして、夢遊病・チック症・頭痛・書痙・強迫観念・メランコリー・ヒステリー・喘息・癲癇・神経性下痢・阿片中毒・アルコール依存・オナニズム等々と多岐に渡るが、催眠/暗示療法をいたずらに神格化していない実証的・科学的な態度は好感が持てる。例えば左利きの矯正には催眠/暗示療法は効果がないそうだ(p.149)。同様に同性愛も催眠/暗示療法では矯正できないらしい(p.116)…(^_^;…もっとも著者は同性愛を病気(精神障害)とは見なしていないのだが。

ところで、暗示や催眠によって自由意志が左右されうるという考え方は、ある意味人間存在の基盤が揺らぐような話であって、これをテーマにしたミステリの秀作もいくつかある(夢野久作・竹本健治・麻耶雄嵩の諸作品など)。しかし虫太郎の題材の扱い方は、これらの作品とは一線を画しているように感じられる。つまり彼にとってそれはあくまでペダントリーであって、いってみれば暗号や密室などと同列に語られうるものなのである。ここに虫太郎の精神の健全さを見たい。いわゆるトンデモ系の書物を浴びるように読んだに違いないにもかかわらず、それらに毒された形跡がない。つまり彼は根っから反ドンキホーテ的な人間であって、その根本にはサンチョ・パンサ的な人間存在に対する信頼がある。そういう点でも虫太郎を敬慕するのである。