『王家の遺伝(メンタル・エンド・モラル・ヒリディティ・イン・ロヤリティ)』(ウッズ) 1906


副題は「歴史および心理学における統計学的研究」。黒死館ではタイトルだけ登場する。

「いや、却って欲しいのはマーローの『ファウスト博士の悲史献』なんですよ」と法水が挙げたその一冊の名は、呪文の本質を知らない相手の冷笑を弾き返すに十分だったが、尚それ以外に、ロスコフの『Voeks-Buchの研究』(ファウスト伝説の原本と称されている)、バルトの『ヒステリー性睡眠状態に就いて』、ウッズの『王家の遺伝』をも借用したい旨を述べて、図書室を出た。(p.344-345)

著者ウッズはこの本を書いた当時マサチューセッツ工科大学の生物学担当講師で、その前はハーバード医学校の組織学・発生学の専任講師だったそうだ。バリバリの理系人間である。Googleでこの人のフルネームを検索すると、日本のサイトでは一件だけひっかかる。東京女子大学新渡戸稲造記念文庫の目録中にこの人の本がある。
著者はまずヨーロッパ諸国の王家の人々832名の知性および徳性を10点満点で採点して短評をつける。例えばグスタフ・アドルフ(10)(10)【最初の10は知性ポイント、次の10は徳性ポイント。以下同様】、ルイ太陽王(7)(4)、アンリ4世(9)(4)、エカテリーナ2世(10)(1)、ルドルフ2世(5)(3)、ドン・カルロス(2)(1)などなど。ここらへんは福田和也『作家の値うち』や2ちゃんねるの世界史板を連想させて楽しい。
次いでブルボン家、ハプスブルグ家、ホーエンツォルレン家等々についてこれらの知性・徳性がどのように後代に影響を与えていったかを調査している。つまり競馬ファンサラブレッドに対して研究しているようなことを、人間、それも王家を対象に行っているわけで、考えてみれば不敬な話ではある。アメリカ人だからできたという気がしないでもない。しかしこのようなアプローチは黒死館殺人事件の真相に密接に係っている。第二の殺人の段階でこの本の借覧を要求した法水の慧眼畏るべし。
著者によれば、例えばフランスのブルボン家の始祖たちは極めて強力か、そうでなければ極めて脆弱な人々であり、それが代を経て中庸・放縦な性格となり、その末裔は徳性はしばしば優れているものの凡庸な人物たちだそうだ。スペインのハプスブルク家は、極めて強烈かあるいはエキセントリックな性格から始まり、エキセントリックさを継承しつつ代々それが衰弱していき、そのエキセントリックさはスペインのブルボン家に流れ込んでいるそうだ。
著者の結論は、人間を決定する遺伝・環境・本人の意志の三つの要素のうち、「遺伝こそが他の要素を引き離して、偉大な人間を形成する最も大きな要因である」ということで、期せずして降矢木算哲博士と同じ見解になっている。