『この私、クラウディウス』

急逝された多田智満子氏の最後の訳業、ローマ帝国第四代皇帝クラウディウスがおのれの一生を語る、という体裁の歴史小説なり。しかれど血湧き肉踊る歴史小説を期待せし者は肩透かしをくらうならん。小説らしき作為はまるでなし。時に異常なる出来事を描写しながらも、あくまで叙述は淡々と、時系列に沿って進む。あたかも退屈なWeb日記の如くに。これは実はクラウディウスの自伝を翻訳したもの、と言われても拙豚は信じるならん。ローマ帝国を、あたかも当時の人が日記を書いたかの如く再現するグレーヴズの学識と想像力はまことに恐るべきものなり。

ローマ皇帝といえば初代がアウグストゥス、二代目がティベリウス、三代目がカリギュラ、五代目がネロ、いずれ劣らぬ強烈な性格の持ち主にて、特に後の三人はえげつないエピソードに満ち満ちている。詳しくはスウェトニウス「ローマ皇帝伝」やエドガー・ソールタス「Imperial Purple」を見られたし。そのなかにありてクラウディウスは影が薄い、世間から距離を置いて生きる男なり。しょぼいオヤジなり。ある意味、倉阪作品に出てくる吸血鬼のゴーストハンターを彷彿とさせり。

この周囲の喧騒から超越せるクラウディウスの姿に作者グレーヴズを重ね合わさずを得ず。訳者解説でも指摘されているしが、ボルヘスの晩年の書「アトラス」(現代思潮新社)には著者がマヨルカ島にグレーヴズを尋ねしときのエピソードがのっており。時にボルヘス82歳、グレーヴス86歳。グレーヴズは老齢のため目も耳ももはや用をなさず、話すこともあたわず、意識も定かならず。しかれども(やはり盲目の)ボルヘスの手を握り、ボルヘス夫人の手に接吻せしと。

感動的というも愚かであって、神話の一挿話のようでもある。タイム・トラベラーのように時間を超越して生きる二人の、うつしみでの会見は、これ以外にありえようか!