サラゴサなう……

The Manuscript Found in Saragossa (Penguin Classics)

The Manuscript Found in Saragossa (Penguin Classics)


渋谷のシアター・イメージフォーラムで「サラゴサの写本」を見てきました。あこがれの作品が見られて大感激。余勢をかって英訳本もざっと読みましたが、枝葉の部分をはしょってはいるものの、原作のかなり忠実な映画化です。原作は66日間の出来事とプロローグ・エピローグで構成されていますが、そのうち14日目までは、日本語訳があります(国書刊行会の『世界幻想文学大系』の第19巻)。原作から映画化された部分を抽出すると以下のような感じです。(2)、(3)などは話の階層を表します。

1日目
アルフォンス、マドリッドへ向かう。ゾト兄弟の死体のところで二人の従者消える。ベンタ・ケマダの宿にある地下室でエミナとジベデに会う。姉妹はアルフォンスの母方の家系と同じく、ゴメレス家の末裔であった。二人の娘は結婚を迫るがアルフォンスは拒む。髑髏盃の飲料を飲む。

2日目
アルフォンス、目が覚めるとゾトの二人の亡骸のそばに横たわっている。馬で進むと、ゴシック風の御堂のそばに庵室があって隠者が住んでいた。隠者の召使を務める悪魔憑きのパシェコ、身の上話をする。

3日目
お前もパシェコと同じ経験をしたろうと隠者が問い詰めるが、アルフォンスは約束を守り何も答えない。アルフォンス、決闘好きだった父の話をする。僧の庵から出発してまもなく、異端審問所に逮捕される。

4日目
アルフォンス異端審問所で拷問されるが、約束を守り口を割らない。山賊の首領ゾトが救いに来る。

7日目
アルフォンス、首から下げた十字架を姉妹に取られる。ゴメレス家の長老(シーク)現われ、イスラムを信じるか、または死ぬことを迫る。アルフォンスは死を選び、毒の盃を飲みほす。

8日目
気がつくとアルフォンスはロス・エルマノスの絞首台の下にいた。かたわらにカバリストのベン・マムンも首に縄をかけて寝ていた。二人はベンタ・ケマダで食事をする。寝台のある部屋で取られたはずの十字架を見つける。

9日目
カバリスト、アルフォンスを自宅の館に招待する。妹のレベッカが迎える。

10日目
ジプシーの一団がカバリストの館に来る。ジプシー酋長のパンデソウナと会う。ジプシー団出発*1、アルフォンス、カバリスト、レベッカも同行。

18日目
ロス・エルマノスの絞首台に行くと、幾何学者のベラスケスが横たわっていた。アルフォンスはその男をジプシーのキャンプに連れていく*2

29日目
(2)パンデソウナの話 パンデソウナの少年時代、雑踏で男に呼び止められる。そしてレースの端切れを渡され、この布地の服を着た女が教会に行くかどうか確かめろといわれる。

31日目
(2)自分に用をいいつけた男が嫉妬深い夫だと察したパンデソウナは、婦人を見つけると教会に行くよう勧める。そして婦人の頼みでトレドの騎士に手紙を持っていく。トレドは女から女へ渡り歩く遊び人の貴族だった。
(3)トレドの話 トレドのもとにマルタ十字架を刺繍したマントを着た友人アギラー来て、これから決闘するという。アギラー死ぬ。真夜中に戸を叩く音がする。「君は煉獄にいるのか」とトレドが聞くと、「いる」と答えが返ってくる。
(2)パンデソウナ、トレドがやつれた表情で聞罪師のもとに行くのを見る。

32日目
(2)パンデソウナがカディスの大商人の息子ソアレスのところに行くと足を折って寝ている。
(3)ソアレスの話 ソアレスは恋愛小説が大好きだったが、マドリッドに行くにあたり、父に三つのことを命ぜられる。貴族と交際するな。ドンと称するな。剣を抜くな。そして何よりモロの一族と関わりを持つな。
(4)ソアレス父の話 200万を返しそこねたことからモロの一族と不和に。

33日目
(3)ブスケロス、ソアレスの宿に闖入。ソアレスは食事を横取りされる。メダイヨンを拾った縁で美女イネスと知り合う。イネスと話しかけるとブスケロスが介入。

34日目
(3)ソアレスがイネスに手紙を書くとブスケロスが勝手にイネスに渡してしまう。イネスがモロの一族なことが判明。

35日目
(3)ソアレス、イネスから手紙を受け取る。日没後すぐにブエン・レティロに来てくださいとのこと。すぐさま駆けつけるとブスケロスにつかまり、無理やり話を聞かされる。
(4)ブスケロスの話 いたずらで人の家に梯子をかけて窓からのぞくと、年取った夫と若妻が寝ている。夫、あわてふためき部屋から逃げ、妻ファスケータだけが残される。
(5)ファスケータの話 夫、妻ファスケータの所に来たペナ・フローの手紙をもぎ取って読む。嫉妬した夫はペナ・フローを亡き者にしようと殺し屋を雇う。警察が来てペナ・フローが死んだと告げる。それ以後、怪現象が次々と起こるがそれは妻の悪戯で、ペナ・フローは架空の存在、警察もファスケータが雇った偽者だった。ブスケロスの首が窓からのぞいたので、夫はペナ・フローの霊かと思って逃げたのだ。
(3)イネスがそろそろ来るのにブスケロスは話を止めない。我慢できなくなったソアレスは剣を抜く。ブスケロスは応戦し、ソアレスの腕を刺す。

36日目
(3)イネスからソアレスに手紙が来る。窓から忍びこめとのこと。だがブスケロスが家を間違え、トレドの窓を叩いてしまう。「煉獄にいるのか」「いる」の問答がトレドとソアレスの間で交わされる。
(2)トレドが煉獄のアギラーの霊を思ったのはソアレスだった。パンデソウナ、修道院にいるトレドに真相を告げる。トレド、陽気さを取り戻し、僧衣を脱ぎ世俗に戻る。トレド、ブスケロスと会う。

47日目
(2)トレドは幽霊の正体に安心して、求愛していたウスカリスに会いたい思いでいっぱいになった。ブスケロス、策略を練り、みごとにソアレス父とモロを和解させ、ソアレスとイネスを結婚させる。トレドはブスケロスに聞く。「ところでファスキータはどうなったのだ」。「一度寡婦になりましたが再婚して、いまは非のうちどころのない生活を送っています。ほら、窓の下を通りますよ」トレド「何を言ってるんだ。あれは俺が求愛したウスカリスじゃないか!」

61日目
アルフォンス、地下に降りていきムーア人の長老に会う。実はそれは(2日目に会った)隠者と同一人物であった。エミナとジベデがアルフォンスの子を身ごもったことを知らされる。

66日目
カバリストやレベッカは実は長老と結託してアルフォンスを欺いていたのだった。アルフォンスの二人の失踪した召使も彼らの一味だったし、パシェコは実はバスク人のアクロバットだった。異端審問官も贋物だった。すべてはアルフォンスが誓いを破って秘密を漏らすかどうかの試練だったが、アルフォンスはみごとに合格した。


というように、映画はだいたい原作どおりなのですが、エピローグだけは違います。どのくらい違うかというと、『猿の惑星』の映画版と小説版くらいに違うのですよ。幸いにして英訳本は簡単に手に入りますので、興味がある方はエピローグだけ拾い読みされるとよろしいかと思います。工藤幸雄氏が邦訳の解説で「幻想小説の形を借りてヤン・ポトツキは、囚われない自由な思考、偏見のない世界観を……強力にしかし洒脱に繰りひろげていると言ってよい」と言っているように、原作はキリスト教徒、ユダヤ教徒イスラム教徒、無神論者などの美しい協調が謳われるのですが、映画ではそのテーマはあまり浮かび上がってきてないかもしれません。

その代わりに映画で強調されているのはユーモア、というかむしろギャグで、たとえばアルフォンスは、邦訳では一人称が「わし」といかめしいのですが、スクリーン上の彼は、ムーア人の美女に抱擁されると、いきなりデレデレーと嬉しそうに表情が崩れる青年なのでした。その情けなさには客席からも笑い声が起こってました。それから悪魔憑きのパシェコが隠者に命ぜられると急にキリッと表情になって身の上話を語り始めるのもなんとも言えずおかしい。表情の変化だけで笑いを取るあの俳優の演技力はたいしたものだと思いました。あとアルフォンスの決闘好きのお父さんは、邦訳では非常な厳父なのですが、映画だと泥鰌髭のユーモラスなおっさんになってしまってます。

それから原作&映画でともに印象に残ったのは、一見超自然的な現象も合理的に説明をつける、作者の合理主義的精神でした。その意味ではこれを幻想小説と言ってしまっていいかは疑問。この作品を幻想小説の範例として挙げるトドロフみたいな人もいるのだけれど……。

かくなる上はぜひ完訳を、と言いたいところなのですが、実にこれは一筋縄ではいかない超難物で、版元の苦労は察するにあまりあり、あまり強くは言えないような気持ちになってきました。なにしろ訳者が故人になってしまっており、テキストの校訂にもかなりややこしい部分があり、なによりも内容の多重構造性が、繰り返し読むと精神に変調をきたしそうな代物なので〜(映画は原作の4分の1くらいの分量ですが、それでもアレなのですからね〜全貌は推して知るべし〜)

*1:映画ではずっと館に滞在

*2:映画では異端審問所でアルフォンスと間違えられたことになっている