Prime終刊

 わが陋屋のあるC市は道路陥没でだんだんと有名になりつつある。川一つ越えたところにあるお隣のK市には鋼管通りという通りがあるそうだ。いかにも頑丈そうな通りでうらやましい。

 だがC市の真の名物はけして道路陥没などではない。市立図書館発行のコピー誌「ぶちねこ便 —中学生へのお届けもの—」といえよう。この「ぶちねこ便」は市内の(おもに)女子中学生が作っているミニコミ誌で、覚えているかぎりでは1980年代からあったから、もうかなり歴史がある。毎号特集を組んでいて、10月号の特集は「ケチャマヨ戦争」。つまりケチャップとマヨネーズのどちらに軍配をあげるかという話である。

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 この「ぶちねこ便」と並んで、いわばお姉さん誌の「Prime —高校生の今—」というのが不定期刊で出ていたが、先日久しぶりに図書館に行くと「最終号」が並べてあった。残念! 
 

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ボルヘス、噴飯文庫本を評す

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 『ファンタジウス・マルレア』の話が出たついでに関連した話題をひとつ。2016年に噴飯文庫の一冊として出たH.G.ウェルズ『星の児 生物学的幻想曲』(このブログでの感想はここ)を、やはり当時の新刊だった『クローケー・プレイヤー』といっしょにボルヘスが書評しているのを見つけました。国書刊行会からボルヘス・コレクションの一冊として出た『論議』に入っています。この『論議』の訳では『星の児』(Star Begotten) は『生まれた星』と訳されていますが、その書評のさわりを引用すると

「……もうひとつの『生まれた星』は、宇宙光線の放射によって人類を再生させようという火星人の好意的な陰謀を描いている。……われわれの文化は新たに生まれてくる、これまでとはいささか異なる世代によって刷新されうる、ということを言わんとしている」

「……『生まれた星』の方は、全体がいわば無定形(アモルフォ)であって、一連のとりとめない議論が全篇を埋め尽くしているといった趣である。そのプロット——宇宙光線の力による人類の情容赦のない変奏——が実現されることはない。ただ主人公たちがその可能性を論じているだけである。従って、その結果はいかにも刺激に乏しい。読者は懐旧の念を込めて、ウェルズがこの作品を初期の段階で書く気になっていたらよかったのに! と思うことであろう」

 当時まだ旺盛に新作を発表していたウェルズにボルヘスが寄せた期待(と落胆)がよく表われた文章だと思います。

遠征と本の購入

今日は西荻の盛林堂書房まで遠出をして『ファンタジウス・マルレア・悪魔の王国』と『CRITICA』最新号を買ってきた。ヴェルヌ研究誌『Excelsior!』は売り切れたらしく置いていなかった。残念。
 
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『ファンタジウス・マルレア・悪魔の王国』は訳書刊行が何度も刊行が挫折している不幸な作品である。国書刊行会の『世界幻想文学大系』の一冊として刊行が予告されながら実現せず、その後エディション・イレーヌの「屋上庭園」に一部翻訳が載りながらそのまま中絶した。ようやくの全訳刊行の快挙を喜びたい。巻末の訳者あとがきによれば「エロスのヴェールを被った哲学的狂人日記」だそうだ。読むのが楽しみです。

『CRITICA』は嬉しやフランス・ミステリ特集。市川尚吾氏の「リバチル伏線明示モード」という評論も面白そうだが、いかんせん元ネタの『リバーサイド・チルドレン』を読んでいない。まずこれから読まなくては。

 それから巷で噂の『観念結晶大系』も買いました。
 

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Re-ClaM五号到来

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 定期購読してしているRe-ClaM5号が到来した。早いものでもう5号である。今回の特集は「新/ロス・マクドナルド巡礼」。巻頭に法月綸太郎氏の特別寄稿「フェアプレイの向こう側」が掲載されている。これはまたとない贈物だ!

 それはいいのだけど、最初のページからネタバレ全開の気配がプンプン臭っている。あわてて『一瞬の敵』を引っぱり出して再読することにした。大昔に一度読んだものの、例によって内容はコカコーラのごとくスカっと爽やかに忘れている。まあ何というか、陰鬱な家族関係が往々にしてテーマになるロスマク作品などは、読後は早々に忘れたほうが精神衛生上もよろしいのではないかと思う。

 しかし今はそんなことも言っていられない。法月評論を十全に味わいたいがためにふたたび『一瞬の敵』を読んだ。これが予想通りのやるせない話で、正直なところ「読まなきゃよかった」とさえ思った。リュウ・アーチャーが全然関与せずに一切を成り行きに任せたほうが、まだしも幸せな結末になったのではとも思う。少なくとも死人の数は減っただろう。

 法月評論については、何を語っても『一瞬の敵』のネタバレになってしまうのでここでは触れない。タイトル通り「フェアプレイの向こう側」が論ぜられた読み応えのある文章であった。フェアかアンフェアかという点でいえば、『一瞬の敵』が本格推理でいうフェアプレイを守っていることには一点の疑いもない。しかしこの評論はその「向こう側」にあるものに思いをいたすのである。

やめられない止まらない

 新紀元社様より『幻想と怪奇』4号をご恵贈にあずかりました。ありがとうございます。

幻想と怪奇 4 吸血鬼の系譜 スラヴの不死者から夜の貴族へ

幻想と怪奇 4 吸血鬼の系譜 スラヴの不死者から夜の貴族へ

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 今回のテーマは「吸血鬼の系譜」。この吸血鬼ものというのは不思議に後を引く。一篇読んだらまた別の一篇を読みたくなる。後から後から吸血鬼が出てくるという繰り返しがたまらない。あっというまに一冊読んでしまった。

 これだけ快適に読めるというのは、作品セレクションの良さであると同時に練達の翻訳者陣のおかげでもある。同人出版からは前号の『非聖遺物』(伊東晶子氏訳、初出は『翻訳編吟』)に引き続き、今回はやはり文学フリマで一部にセンセーションを起こした渦巻栗氏が登板。堂に入った技量を見せてくれる。

 前号で平井呈一の絶妙のパスティーシュを披露してくれた井上雅彦氏の今回の作は「われらは伝説」。むろん「アイ・アム・レジェンド」のもじりである。「この雑誌を読む人ならこれはわかってくれるはず」という、いわば作者と読者のあいだの信頼感が、こうした愛好家向け雑誌特有の和やかな雰囲気をつくりだしていると思う。

 いちばん気に入ったのはA.K.トルストイの「吸血鬼の一家——ある外交官の回想録より」。すでに複数の既訳があるそうだが初めて読んだ。元祖『幻想と怪奇』の2号にも入っているらしいのだが、たぶん翻訳が肌にあわず読まなかったのだろう。親爺が吸血鬼になって帰ってきたとわかっていてもやはり一家団欒をしている場面には変なユーモア、変なリアリティがあって、「もう一つの世界」に巧みに読者をひっぱっていく。クライマックスに向けての終盤の盛り上がりもすばらしく、グワーとかゴゴゴゴとかいう効果音が聞こえるほどだ。やはり本場ものは違うなあと感嘆しきり。スラヴの血が騒いでいるのがダイレクトに伝わってくる。

 終わり近くをD.H.ロレンスとコーネル・ウールリッチ両巨頭の作品が飾っている。ロレンスのは吸血鬼もののサブジャンルともいえる毒親・毒保護者もの。このサブジャンルの歴史は古く、おそらく名作「シートンのおばさん」を越えてさらに古く淵源が求められると思う。このロレンスとウールリッチは二人ともいわば別ジャンルの作家なのだけれど、変に気取ったり逃げたりせず、このテーマに真摯に正面から取り組んでいるのが頼もしい。つまり迷信と思って馬鹿にしていないのだ。それは伝統への敬意なのかもしれないし、吸血鬼という存在が欧米あるいはキリスト教圏の人々にとって(下手に冗談にできないほどの!)根深いリアリティを持っている証なのかもしれない。
 
 
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謎の覆面ゴールキーパー

 
発売するやたちまち怒濤のごとく売れに売れ、わずか一週間で重版が決まったといわれる北原尚彦さんの『初歩からのシャーロック・ホームズ』。勢いに押されて一本を贖ってみた。

なるほどいままで知らなかったことがいろいろ書いてあってたいそう面白い。ほえ~とかふわ~とか変な声を出しながら読んだ。なかでも面白かったところを以下にいくつかご紹介しましょう。ネタバレにならないよう一応配慮しました。

(その一)例の「バリツ」には、「武術」でも「柔術」でもない、ましてや「バーリトゥード」でもない、現在有力な説というのがあるそうだ。おそらくホームズファンには常識なのだろうが、この本を読むまでぜんぜん知らなかった。

(その二)ワトスンがアフガニスタンに従軍したとき負傷した場所は、作品によって肩だったり脚だったりする。ここまではさすがに知っていたが、シャーロキアンのあいだでは「肩説」「脚説」「肩と脚両方説」の三説のほかに、あっと驚く第四の説があるらしい。他人が口をはさむ筋合いのものではないが、後にワトスン夫人となるメアリ・モースタン嬢はこのことを知っていたのだろうか。

(その三)作者コナン・ドイルはホームズ物をいやいや書いていて、終わらせようと思ってモリアーティ教授を登場させたというのは有名な話だが、実はその前、『冒険』が出た段階でホームズは打ち切りにするつもりだったらしい。つまり下手をするとホームズの短篇集は一冊しか出なかったかもしれないのだが、その恐るべき危機を阻止した人とは誰あろう……

(その四)コナン・ドイルといえばクリケットが有名だが、実はその他にも、地元のサッカーチームで一時ゴールキーパーをしていたらしい。でもなぜかそのとき「A. C. スミス」という変名を使っていたそうだ。なぜそんなことをするのだろう? ベーカー街221Bまで行ってホームズに相談したくなるような奇妙な振舞いではなかろうか。「ねえホームズさん、うちの夫ったら人の名前でゴールキーパーやってるんですよ。何か変だと思いません?」(というか、なぜそこまでしてゴールキーパーがやりたかったのだろう?)。このエピソードなどは後の某短篇のヒントになったのかもしれないような気がする(もちろんこのエピソードと短篇執筆の前後関係はよくわからないのだが)。


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六分の狂気四分の熱


 この前の三島由紀夫に続いて、金沢にあるといわれる秘密基地からまたまた驚愕の文豪アンソロジーが放たれた。

 この本を開いてすぐ感じられるのは、「馥郁」という言葉を使いたくなるある種のフェロモンである。それも今日放たれたばかりのような新鮮なフェロモンである。ああ、内田百閒や芥川龍之介はきっとこの香気にやられて漱石のもとに馳せ参じたんだろうな、ということが、特濃のフェロモンを含有する作品のみが厳選されたこの本から伝わってくる。時空を超えて明治ロマンティシズムの開花に立ち会っているような感じもする。

 本書全体を領するキーワードは夢といってよかろうかと思う。この時代の人の課題だったであろう東洋と西洋の対立に、夢という橋が軽々と掛けられ、自在に往来がされているのに驚く。のちのボルヘスや澁澤龍彦の仕事を先取りしているとさえ思えてくる。文体にすべてを任せて別世界を作りあげるところも共通している。

 夢の中の論理はくどい。この本のなかでも夢特有の変なロジックが、鮎川哲也かエラリー・クイーンかというような執拗さでくどくどと繰り返されるところがあって、まあイヤになるほどなのだが、いかにも夢を見ているという感じですばらしい。そのロジック盛り沢山の作品の代表「趣味の遺伝」は幽霊探偵カーナッキやメイ・シンクレアの一連の作品にとても近いところにある。未読の人はまあ騙されたと思って読んでごらんなさい。きっと腰を抜かしますよ。それから『吾輩は猫である』の切り取り方にも唸った。ここだけ読むとやはりメイ・シンクレアの作品の抜粋のような感じがする。


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