蝦殻とサメねえちゃん

5/6に引き続き文学フリマの収穫です。今日は魚介類しばりで。
まずはS県で書店員をされているという蝦殻剥身さんの歌集『蝦殻和歌集』

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ぱらぱらっと見てその斬新な韻律に惹かれて購入しました。ちゃんと五七五七七になっているのがすごい。

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人様の本の内容をあまりアップするのはよくないと思うけれど、いい歌ばかりなのでもう一首だけご紹介。これもドスがきいていていい。

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書店員という仕事は毎日いかにも大変そうです。影ながら応援しています。

お次は「目の付けどころがシャーク」なサメンバーさん。今回は新刊は買えずペーパーだけもらってきました。いっしょに写っているのは2017年の夏コミで買った『サメねえちゃん7 やばみ本。』です。「やばみがある」とか「つらみがある」とか言うときの「~み」を言語学的に分析した本です。それも4コマで。おかげでなかなかわかりみがあります。

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このハードな議論を見よ!

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そういえば「やばみ」とか「つらみ」とかは最近聞かなくなりましたね。すでに死語になったのでしょうか。

シブサワ大激怒!

 文学フリマに行ってまいりました。一番のお目当ては高山宏ロングインタビューが掲載されている「機関精神史」。漏れ聞く噂によれば「商業誌ではふつう削除されるような赤裸々なことも平気で載せてある」らしいので、楽しみにしていたのです。
 
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 ページを開いてみると、噂にたがわずのっけから林達夫を罵倒しています。知らない人が読んだら、たちの悪い酔っ払いがクダを巻いていると思うにちがいありません。同じ調子でいろいろな人が槍玉にあがっていますが、なかには澁澤龍彦を怒らせたという逸話も。

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 でもこれはまだ手加減しているのですよ。ブースにいた方にインタビューのゲラを見せてもらったのですが、そこには、最終稿では抹殺されたさらに過激な表現が! 

 しかしマニエリストの辞書に「赤裸々」という文字はありえません。赤裸々さえマニエラと化すのであります。きっと数々の暴言もまた学魔先生一流のマニエリスム、つまり話し相手をもてなすマナーなのでありましょう。

 小林エリコさんの新刊『わたしはなにも悪くない』も早売りしていました。そうだ、あなたは何も悪くない。
 
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 サインももらってしまいました。さささっとものすごい早業でイラストを描いてくださったのでびっくりした。プロの技だ~
 
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 お次は各所で話題沸騰中のRe-ClaM第二号。
 
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 藤元直樹氏が暴いた菊池幽芳『秘中の秘』の原作者には驚きました! 「まさかっ」と思って、思わず本を見直してしまいましたよ。ああこれを乱歩が知っていたらどんな顔をしただろうと考えるとニヤニヤしてしまいます。むかし創元推理文庫で読んだ短篇はつまらなかったけどな、と思って念のために『東京創元社文庫解説総目録』で調べてみたら別の人でした。某所でペアみたいに語られていたので混同したのです。夢野久作のお父さんが〈盲目の翻訳〉したのはどちらの人だったかな。

 あと小林晋さんのところには本になっていない訳稿が何十冊分か溜まっているのだそうです。これにも驚きました。

 その他にもいろいろ買いましたが、まだ読んでいないので次の機会に~

無軌道外交に呆然自失

関口存男「雨傘論」で和文独訳のネタに使われた朝日新聞の社説は、はたしてどんな文脈で書かれたものか? それを調べようと図書館に縮刷版を見に行きました。「ははあヒマを持てあましているな」と人は思うかもしれません。あえて否定はしません。

当該号の一面を見て深く納得。ヒトラー総統が爆弾宣言をぶちかましているではありませんか。

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「ヴェルサイユ条約の一方的廃棄に対してはローマ条約、ロンドン宣言がいずれも反対を表明しているのにことさらの共同宣言無視の挙に出たヒトラー総統一流の無軌道外交には欧州各国政府とも呆然自失の態である」

つまり第一次大戦に負けたドイツはヴェルサイユ条約によって軍備を制限されていたのですが、その条約を一方的に破棄して、「さあこれからは思う存分軍隊を増強しますよ! 文句があるならベルリンにいらっしゃい。オーホッホッホッ!」と世界に宣言したのでした。

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「雨傘論」に引用された社説はそのニュースを受けてのもの。条約は「実際不可能なるを強いんとするもの」とか書いてあってドイツに同情的です。

それにしても傍若無人な無軌道外交というと、どこかの国の大統領を思わせるところがありますね。あの大統領には総統ほどのカリスマ的魅力がないのが不幸中の幸いといえましょう。コールリッジは『バイオグラフィア・リテラリア』(邦題『文学的自叙伝』)によれば、「大きな事件がおこるたびごとに、私は過去の歴史のなかにそれに似た事件を努め」、それは現状の判断に大いに有益だったということです。まことに歴史は繰り返すものであります。

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図書館まで行ったついでに「ぶちねこ便」と「Prime」の最新号も一部ずつもらってきました。どちらも市立図書館の発行によるもので、前者はC市の中学生が、後者は高校生が、書きたい放題のことを書いています。プヒ氏はこれを毎月読みたいがためにわざわざC市に引っ越してきたという噂もあります。

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時局大迎合

関口存男といえば、いつのまにか三修社から新刊が出ていました。今年一月の刊行です。

正確に言えば新刊ではなく増補復刊で、昭和8年(1933)に初版が出て、昭和33年(1958)に再刊された『和文独訳漫談集』に「雨傘論」他三篇を増補したものです。とはいえ版面そのままの復刻ではなく、ちゃんと活字を組み直してあります。

これがどんな本かということは、はしがきに書かれてあります。

「勿論こんなものを読んだからと言って、ドイツ語の実力が発達したりなんぞするわけのものでは」ない本であると、著者自らが言っております。

でもまあ、実力の発達はしないにしても、すくなくとも大いに啓発はされます。内容をちょっと紹介すると

さすがに満州事変とか国際連盟脱退などが起きたころの本だけあって、和文独訳の課題も勇壮です。今見ると完全にアナクロ……じゃなくて、一周回ってアクチュアルになっているのかな? そこらへんはよくわかりません。

この課題文 ↓ は昭和10年(1935)の朝日新聞社説から。この時代は朝日社説もナチスの肩を持っていたんですね(肩を持つのとはちょっとニュアンスが違うかもしれませんが……)

ともあれ今の時期にあえてこういうアナクロかアクチュアルかわからない本を出す三修社は注目に値すると思います。これ一冊にとどまらず、どしどし「関口存男セレクション」の続刊を刊行してほしいものです。


話は飛びますが、むかしむかし、東横線沿線のとある古本屋の店先に、関口存男主宰の「月刊講座 ドイツ語」が山積みになっていたことがありました。なにぶん表紙がこんな ↓ 感じで時局大迎合しているので、まるで汚物かなんかのような扱いで、べらぼうな安値がついていたものです。


(左上から昭和18年3月号、昭和17年11月号、昭和13年10月号、同11月号、同6月号)

「うわあやったあ!」と思って、その一山を全部かかえて帳場に持っていくと、よほど顔がホクホクしていたのでしょうか、「変な人が来た~」みたいな感じで応対されたことを覚えています。

こんまり入門

巷で噂の『人生がときめく片づけの魔法』をちょっと覗いてみた。

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

「選別と収納を同時にしてはならない」とか、「服なら服をまず一か所に集めろ」とか、色々いいことが書いてある。だがこと蔵書に関しては、このメソッドを適用するのは難しいように思う。

なぜか。ドイツ語の神様と言われた関口存男が何かの本で、語学におけるトリヴィアルな知識の大切さについてこう書いていた(記憶で書いているので引用は不正確)。「塵も積もれば山となる、と言いますが、塵が一トンほども積もったら山になるのは当たり前で、とりたてて言うほどのことではない。わたしが言いたいのは、一トンの塵が積もればそれはもはや一トンの塵ではなく、一トンのダイアモンドと化すということであります」

「一トンのダイアモンド」というのはさすがに関口存男だけに許される形容であろうけれど、自分の経験から言っても一トンの塵が積もれば少なくとも一トンの大理石か一トンの青銅くらいには化すと思う。

蔵書もこれと同じで、一トン(単行本だと二千冊、文庫本だと四千冊くらい)の本が集まったら、すでにしてそれは一トンの本ではない。それじゃ何なんだと言われるとちょっと返答に窮するけれど、まあようするに全部融合して、諸星大二郎の「生物都市」みたいに「夢のようだ……新しい世界がくる……ユートピアが……」状態に化してしまうのである。ここにおいて部分という概念はすでに存在しない。だから一冊一冊取りだして、こんまりメソッドで「これはときめく、これはときめかない」とかやっても意味がない。非常に困ったことではある。

忖度から始まった

創元の話題が続くが、「日本の創作推理小説は忖度から始まった!」と名うって東京創元社は「日本探偵小説全集」を大々的に宣伝してはどうだろう。


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忖度ばやりの昨今受けると思うのだけれど……。まあ老舗がそんなえげつないことはやるわけはないか。それに最新の研究によれば日本最初の推理小説は「無惨」ではないらしいし。(ちなみにここでの「忖度」は今でいう「推理」のことです) 

泡坂快進撃

去年から今年にかけて、河出文庫(『毒薬の輪舞』『死者の輪舞』『迷蝶の島』『妖盗S79号』『花嫁のさけび』)、新潮文庫(『ヨギ・ガンジーの妖術』)、徳間文庫(『奇跡の男』)と、泡坂作品の復刊が著しい。こんな活況を老舗創元が指をくわえてながめているわけはない。くそう負けてなるものかとばかりに、超弩級の二冊をぶつけてきた!

泡坂妻夫引退公演 手妻篇 (創元推理文庫)

泡坂妻夫引退公演 手妻篇 (創元推理文庫)

泡坂妻夫引退公演 絡繰篇 (創元推理文庫)

泡坂妻夫引退公演 絡繰篇 (創元推理文庫)

発売してまだ二週間ほどだが、すでに版元のサイトでは「在庫僅少」になっている。売れ行き絶好調と見える。やはり泡坂人気は根強いと痛感した。

この二冊は単行本未刊行作品を集成したもの、と書くとあたかもマニア向けの本のようであるが、まったくそんなことはない。泡坂はまだ読んだことがありません、という人にも最適の一冊、ではなくて二冊である。

嘘だこれはステマだと思う人は、ともあれ「手妻篇」の「未確認歩行原人」を読んでほしい。このムチャクチャな(しかしすばらしく丹念に伏線が敷かれた)足跡トリックに魅せられたあなたは、すでにして泡坂ファンである。『奇跡の男』に収録された「ナチ式健脳法」と並ぶ二大泡坂足跡トリックですねこれは。おそらく前代未聞の動機がどちらの作品をも輝かしいものにしている。

その他にも、作者手書きの見取り図が付された堂々たる本格巨編「酔象秘曲」、パターン化されたフォーマットが楽しい亜智一郎もの、職人譚にしっとりとした日常の謎を絡ませた絡繰篇【紋】パートの諸短編、バカバカしすぎるショートショート「母神像」など、バラエティ豊かに取り揃えられていて、泡坂世界の豊饒さがコンパクトに楽しめる好著だと思う。

乱歩趣味

世界推理短編傑作集5【新版】 (創元推理文庫)

世界推理短編傑作集5【新版】 (創元推理文庫)


戸川安宣氏によってリニューアルされた『世界推理短編傑作集』がつつがなく完結したことを喜びたい。

この傑作集は、最初の方の巻では、作家乱歩より評論家乱歩が前に出ていた。つまり、おおむね定評ある客観的にも優れた作品ばかり並んでいた。だがこの最終巻は必ずしもそうではない。ハードボイルドなど新しい潮流に目配りをきかせる一方、乱歩個人の趣味嗜好ものびのびと(ぬけぬけと?)顔を出している。その点でもこの第五巻は楽しい読み物だ。いまだ評価の定まっていない時代を扱っているので、おのれの趣味が出しやすかったのかもしれない。

まず「爪」。アイリッシュ(ウールリッチ)のあまたある佳作をさしおいて、どうしてこんなの(失礼)を選ぶのか。「なぜなら編者が乱歩だから」という以外には説明のつけようがない。

「十五人の殺人者たち」は「赤い部屋」を思わせる。「十五人~」のラストの感動的シーンは、この名作を「赤い部屋」とはぜんぜん別物にしているにしても、途中までの道行き、気色悪いサスペンスはとても似ている。

「クリスマスに帰る」もコリアから一作採るにしては変化球だと思う。ポーの某短篇が響いているのが気に入ったのだろうか。

そして今回「見知らぬ部屋の犯罪」と差し替えで収録された「妖魔の森の家」。これは乱歩がこよなく愛した短篇として名高い。なにしろ自身で翻訳も試みている。それほどまで乱歩がこれを気に入った理由は、おそらく最後の一行の味わいであると思う。クイーンがこの作を褒める理由、すなわち伏線が巧みで本格短篇としてよくできているというのは、乱歩にとっては副次的な魅力にすぎなかったのではないか。

断念棄却遮断

「書くことは断念することであり、編集は捨てることであり、出版は閉じ込めること」この言葉がピンとこない人は、ぜひ『足穂拾遺物語』を開いてみてほしい。いかにこの言葉が血肉化されているかがわかるはずだ。

足穂拾遺物語

足穂拾遺物語

これは今まで本にならなかった足穂作品を、気が遠くなるような博捜の果てに、一冊の本にまとめあげたものだ。タイトルにもあるごとく拾遺集である。

にもかかわらず、「とにかくなんでもかんでもぶちこみました~」みたいな肥大感はここにはない。逆にストイックな気迫が、読者に刃を突きつけるように迫ってくる。

無限遠の彼方にある「あるべき本」「存在すべき本」「ぜひとも存在しなければならない本」を幻視し、そのヴィジョンがくっきり浮かびあがればあがるほど、それはどこかで断念され棄却され遮断されねばならない。そうしなければ製品としての書物は現出しえないから。大昔、編者の方々に神保町でばったりお会いして、本書の第七校か第八校目のゲラを見せてもらったことがある。実に妖気のただようゲラであった。

そこまでやった結果としての断念棄却遮断に籠められたエネルギーが、この『足穂拾遺物語』を唯一無二の書としている。聞くところによれば初版は千部未満だったらしいが、十年以上たつのにまだアマゾンに在庫している。インパクトはいまだ消滅していないと思しい。

この本には帯がない。初回出荷時からすでになかった。そこに強烈なメッセージがこめられていることに、わかる人はわかるだろう。

そうそう、実はこの本はご恵贈賜ったのでした。遅ればせながらお礼を申し上げます。

たべおそ7

文学ムック たべるのがおそいvol.7

文学ムック たべるのがおそいvol.7

  • 作者: 斎藤真理子,岩井俊二,銀林みのる,櫻木みわ,飛浩隆,西崎憲,松永美穂,小山田浩子,高山羽根子,柳原孝敦,熊谷純,佐伯紺,錦見映理子,虫武一俊,梅?実奈,東雅夫,チョン・ミョングァン,ハイミート・フォン・ドーデラー,吉良佳奈江,垂野創一郎
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『たべるのがおそい vol.7』(書肆侃侃房)がぼちぼち書店に並びだしているようです。なんでも今号で終刊であるとか。悲しいことですが、西崎さんの八面六臂の活躍を思えば、こちらにも力を割くのはなかなか難しいのかもしれません。

綺羅星のような執筆陣にまじって、不肖わたくしも翻訳で末席を汚しております。この短篇「ヨハン・ペーター・へーベル(1760-1826)の主題による七つの変奏」は、以前このブログでとりあげたスタニスワフ・レムのアンソロジーにトリとして入っていた作品です。これを読んだときには、あまりにも怪作なので腰を抜かしたものです。

ああ、この異様すぎる読後感はとてもひとりでは持ちこたえられない! ぜひ人と分かち合いたい! という思いが余って今回「たべおそ」に載せてもらいました。いわば自分の体にできた気色悪いカサブタを、「ホラホラ見て」と人に見せびらかしたくなるような気持ちでしょうか。ちょっと違うか……いやだいぶ違うかも。

かつて山野浩一さんが主宰されていた雑誌『NW-SF』を愛読していた方なら、こういうのも面白がってくれるかもしれません。しかし『NW-SF』が消滅してすでに40年近くたった今、かくのごとき怪短篇を載せてくれるのは世界広しといえどレムのアンソロジーと「たべるのがおそい」くらいでしょう。はじめにも記しましたが今回の終刊はほんとうに残念です。