私にイシュメイルを呼んでこいとは(それはできない相談だ)

SFが読みたい!2019年版

SFが読みたい!2019年版

 『SFが読みたい!』の各社刊行予定を見ていると面白そうな企画が目白押しである。すっかりレギュラーメンバーになった『SFの気恥ずかしさ』や『無頼の月』などに加えて、新しく『危険なヴィジョン 完全版』とか『伊藤典夫評論集成』とか、あっと驚くタイトルが新規登場した。伊藤典夫の執筆するSFスキャナーの洋書紹介は本物より面白いと評判だったので、まとめて読んだらさぞ至福の時が過ごせるだろうと思う。そればかりではない。この評論集成には筒井康隆編集長時代に『面白半分』に載った翻訳も収録されるという。伊藤訳の「映画刑事」や「ライ病棟の感染者」をまた読めるとは!

 しかしいつも思うのだが、こういう年寄り向けの企画(たぶん)を立てるときは、年寄りの余命のことも考えてほしい。SFの人は人間は永遠に生きると思っているので困る。あるいはイアン・ワトソンの名短篇に「超低速時間移行機」なるものがあるが、某社屋の三階にはそんなのが置いてあるような気がしないでもない。さてこの伊藤典夫評論集成なるものは、わたしの生きているうちに出るであろうか。

 それから『みすず』の読者アンケートの沼野充義先生のところを見ると、新スタニスワフ・レム・コレクションの予定があるらしい。なんでもレム自身が封印したという噂のある初期作品も収録されるかもしれないという。とても楽しみである。

 しかし沼野先生の企画というだけで前途にモヤモヤした暗雲がたちこめるのはいかんともしがたい。なんとかわしの生きとるうちに全巻完結すればいいのう婆さんや。いやそんな贅沢は言いますまい。わたしの生きているあいだに最初の一巻が出れば望外の喜びであります。

 ……あんまり言ってるとわたしの本も出してもらえなくなりそうなのでこの辺にしときます。……単に出してもらえないだけならまだいい。『SFが読みたい!』に10年続けて予告が載ったあげくフェイドアウトするという、リラダンの「希望による拷問」みたいな刑が待っていないともかぎらない。K会の人がここを見てないことを祈る。

初の快挙

本の雑誌429号2019年3月号

本の雑誌429号2019年3月号

本の雑誌3月号を見てビックリ。小財満氏が「どこに転がっていくの、林檎ちゃん」を評してくださっているではありませんか。わたしの記憶に間違いなければ、「新刊めったくたガイド」でペルッツが取りあげられるのはこれが最初であります。小財さん、ありがとう! にははっ、ぶいっ!(激古)

この「林檎ちゃん」は99%リアリズムの小説なので、幻想小説は苦手という人もこれを機会に手にとっていただければと思います。面白いですよ。

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あと今日は東都西北に位置するとある特殊ゾーンに勇を鼓して*1聖杯探究に赴き、無事ゲットしてきました。虎穴に入らずんば虎児を得ずとはこのことか。
 

*1:入ってすぐのところのショーウィンドウに「今月の新刊」とあるが、並んでいるのは10年前の本なのだ。アッこれはまずいところに来てしまったか!と思わずそのまま引き返したくなる

お詫びと訂正

中野善夫さんから「月影から聞こえる音楽」は「月蔭から~」ではないかと指摘をいただきました。『幻想と怪奇』第二号を引っぱり出してみてみるとまさしくそのとおり!

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あわてて当該日記を訂正しました。

ちなみにただいま絶賛発売中の『ドーキー古文書』の白水uブックス版の60ページ(集英社世界の文学版なら319ページ)を見ると、中野さんのモットー "tolle et lege" の由来がわかります。

さらにちなみに、グーグル翻訳は「フランス語 → 英語」ではときどきアッと驚くような的確な訳を返してきますが、「ラテン語 → 日本語」はまったくもってダメです。この"tolle et lege" でも実に微妙な訳です。文法どころか、単語レベルでさえ信用できません。たとえばtibi (二人称単数与格「君に」)をグーグルで訳させるとこんな風になるのです。きっと誰かが、オウムに悪い言葉を覚えさせるみたいにして、わざと間違って教え込ませたんでしょうね。みなさんはそんなことをしてはいけませんよ。

ライバルはバベルの図書館

ちょっと必要があってスタニスワフ・レムの『神はタオイストだろうか』を引っぱりだしてきた。

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これはレム自身の著作ではなく、レムの編んだ幻想小説アンソロジーである。このドイツ語版は1988年に出ているが、ポーランド語版も出ているかどうかはよくわからない。

こういったアンソロジーは偉い人が序文だけ書き、作品選択は人に任せることもあるようだが、この本に限ってそれはありえないと思う。選択がユニークすぎるし(たとえば巻頭を飾るのはバートランド・ラッセル『有名人の悪夢』からの二編)、編み方がいかにも素人くさい(たとえばレスコフの長篇『魅せられた旅人』が全体の半分以上を占める)から。

ところでレムというのは人も知るように、何を言うにしても毒を吐かずにはすませられず、いったん毒を吐きだすと一ページでも二ページでも、場合によってはそれ以上毒を吐き続けるという難儀な性格を持っている。たとえばSF論の大著『SFと未来学』は読むのがイヤになるほど罵詈雑言に満ちていて、ああこれじゃ除名したくもなるわな、とアメリカSF作家協会の人たちに同情を禁じ得ないくらいだ。

この『神はタオイストだろうか』の序文もまったく例外ではない。ここではボルヘスの幻想小説アンソロジー『バベルの図書館』を槍玉にあげ、百科事典的に浩瀚すぎ、おまけにほとんどの作品は最後まで読むに耐えず鬱になる、と悪態をつき、最後に言い訳のように「だからといってボルヘスのアンソロジーは価値がないと言うつもりはない。わたしの言いたいのはただ "De gustibus non est disputandum" (蓼食う虫も好き好き) ということだけだ」などとのたまう。あのう、それは、ほとんど「価値がない」と同義なのではないのでしょうか? 

いやそもそも、自分のアンソロジーの序文で他人のアンソロジーの悪口を言うというのは人としていかがなものか。アンソロジストとしての腕前という点からすれば、ボルヘスとレムには大人と子供くらいの差があることは誰しも認めざるをえないというのに。

なぜこんな話を長々としたのか、なぜ今どきレムのアンソロジーなどを引っぱり出してきたのか。それはたぶん四月くらいには明らかになると思います。乞うご期待(って何を?)

大きな声では言えないが

 ここを見ている皆さんはもうお聞き及びでしょうが、国書刊行会からジェイムズ・ブランチ・キャベルのマニュエル伝が(とりあえず)三作訳出される予定です。翻訳するのは中野善夫さん・安野玲さんのお二方および不肖わたくしであります。藤原編集室通信(出張版)によれば、2012年頃わたしはマニュエル伝の面白さについて藤原さんに熱弁をふるったらしいのらしいのですが、何を話したのか実はあんまり覚えていません。前世紀の終わりころ赤坂見附の「ですぺら」で、今は名古屋で古書転蓬なる一癖も二癖もある店をやっておられる方など相手に「マニュエル伝というのはつまり『うる星やつら』なのだ!」と熱弁をふるったのはかすかに覚えています。『幻想と怪奇』の第二号に載った「月蔭から聞こえる音楽」を読んでその素晴らしさにひっくり返ったのは高校一年のときですから、思い起こせばキャベルとのつきあいも長いものです。

 今回のわたしの担当は"Something about Eve"という作品です。これがいかなる作品かは、あれこれ言葉で申すよりもフランク・C・パぺの挿絵を見ていただくのがてっとり早いでしょう。ちなみに今回の国書版選集では中野善夫さんに貴重な蔵書を提供していただき、このパぺの挿絵は(版権さえクリアできれば)全点収録される予定と聞いています。

 ではまず仲の好さそうな二人が連れ立って暗室に入っていくところ。いったいこの二人は暗い部屋のなかで何をしようというのでしょう。

 よく見るとこの扉の上部は何だか妙な形をしているではありませんか。

 さらに左右の垂れ幕にもなんともいえぬ模様がついています。

 気を取り直してもう一枚。見るからに意地悪そうな女性がフライパンで何か揚げています。何の料理なのでしょう。拡大してみましょう。

 アッこれはなんだ! 

 藤原カムイの初期作品にこんな場面がありましたね。それはともかく、こんな挿絵があるためにこの作品は中野さんや安野さんに敬遠されたのかもしれません(もっとも挿絵と本文はそれほど密接にリンクしているわけではありませんが)。それでわたしにお鉢が回ってきたのかもしれません。わたしはといえば、大きな声では言えませんが、実はこういうのはけして嫌いではないです。むしろ大好きといってもいい。

 安部公房のあんまりな決めつけ

 

 

 今を去る40年ほど前、NHK教育テレビの番組「若い広場」にマイブックコーナーというのがあった。当時高校生だった斉藤とも子を聞き手に、第一線で活躍中の作家たちが若い人に読んでもらいたい本を薦めるコーナーである。筒井康隆が失言したり、北杜夫が突如躁状態に化したりという、ハプニング性に富んだ楽しい番組だった。

 

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 なかでも安部公房の推薦する三冊というのがよかった。他の作家は(たとえば筒井康隆はフロイトの『精神分析入門』、北杜夫はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』というように)おおむね若いうちに読んでおくべき古典をあげているのに対し、安部公房の三冊はなんとこれ ↓ だ。

 

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 つまり自分が最近読んで一番面白かったものを、高校生向けとかそういった手加減なしに、ガチでぶつけてきているのだ。文学には入門も古典もない、文学は「いま・ここ」にしかないものだという姿勢が露骨に出ていて惚れるではないか。

 さらに結びのセリフ ↓ もまたよかった。あまりといえばあまりな決めつけである。文字で読んでもなかなかのインパクトだが、肉声はさらにすごかったんですよ。

 

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  ちなみにこのときのインタビューの内容は新潮社版安部公房全集の第26巻で読めます(pp.409-414)。

明朗冒険活劇のまぼろし

 
 世にアホくさいものは数あれど、山中峯太郎翻案のシャーロック・ホームズくらいアホくさいものはたんとはあるまい。のんびりと正月に読書するにはうってつけである。

 このシリーズはほんの数年前までは古本屋で安値で巡り合う僥倖を待たねばならなかったが、今では平山雄一氏の尽力のおかげで何の苦労もなく手に入る。価格が高くて手が出ないという人だって図書館に行けば容易に読める。

 これから読む人の楽しみを奪ってはいけないので、峯太郎ホームズなるものがいかなるものかは今は説明しない。ただ平山氏の注によれば「金額はたいてい原作より巨額になっている」そうだ。たとえば原作に「時価十万ポンドのダイヤモンド」とあるとしたら、峯太郎版では「時価二十万ポンド」になっているという。もしかしたらエッフェル塔なんかも高さ600メートルくらいになっているのかもしれない。

 わたしの見るところ、ホームズもワトソンもここでは峯太郎がおのれの明朗冒険活劇の夢を存分に羽ばたかせるためのダシに使われているにすぎない。つまり本郷義昭がホームズの皮をかぶっているだけなのだ。だってホームズがあんなに大飯ぐらいのわけがない。これはいわゆる「金縁の鼻眼鏡」で、ホームズと本郷義昭の二人分食べているのだ。

 こう書くと、「ははあ、するとこれはBL好きな人たちがBLの夢を存分に羽ばたかせるために作る薄い本みたいなものなのか」と早合点する人があるかもしれない。もちろん大ざっぱに言えば似たようなものなのだが、だが微妙な点で相違がある。それは一抹の哀感があるかどうかだ。

 「あやかしの鼓」で若先生が怪夫人の書生に身を窶(やつ)しているように、行き場をなくした快男児はベーカー街の探偵に身を窶している。なんだか胸がキヤキヤするではないか。世に容れられぬ者の「窶し」が憐れを誘うではないか。ああ世が世なら颯爽と敵中横断三千里しているものを、何の因果か鬱陶しいロンドンで変ちくりんな事件を捜査している……

 まあそれはともかく、今回の復刊にはわたし以外にも喜んだ人がたくさんいたらしい。おかげで『世界名作探偵小説選』なる続編が近く出て、「つとに高名なポーの三作品」などが収録されるそうだ。

 おお、あの日東の剣侠児が、今度はオーギュスト・デュパンの着ぐるみを着て縦横無尽に暴れるのか! いいかげんにせいよ! じゃなくて、ホームズ以上に大変なことになってそうで大いに期待がもてます。

一番目と二番目の謎

 
あけましておめでとうございます。

 
不肖わたくしもその長い経緯なるものは知らないので、いつの日か明らかになればよいと思う。だが一番の謎はなんといっても、なぜこんなに長い間未訳だったのかということだろう。これさえ出ればバランタインのアダルト・ファンタシー系であと未訳のめぼしいものといえば、アーネスト・ブラマのカイ・ルン譚とE.R.エディスンのジミアムヴィア三部作くらいしか残ってないのではなかろうか。

二番目の謎は昨年ご報告したメダルみたいなものにくわえて、カップ(聖杯?)とか白衣(意匠から見てネッソスの下着か?)とか、どうにも理解に苦しむ物体が今回の企画に関連して出没しているらしいことだ。

もっともこの特殊な版元は御朱印帳も扱っているというから、聖杯やネッソスの下着くらいで騒ぐことはないのかもしれない。なにしろ過去にはお坊さん用のバリカンや封印を解くと世界が破滅する本まで売っていたそうだ。国書の品目というのはかくのごとくあまりに多岐にわたりすぎているので、あの岩波書店が全九巻の総目録を出したという話まである(ツッコミ厳禁)

今年もこんな感じでやっていこうと思っています。よろしくお願いします。

【1/3追記】総目録によればシャツではなくトートバッグらしい。この画像だとシャツに見えたのだが……

発掘

 
 とりあえず魔窟に潜って原本を発掘した。
 

 挟み込まれていたレシートを見ると、この本は1979年11月15日に三省堂アネックスで810円で買ったらしい。ということは今を去るおよそ40年前のことだ。もうそんなになるのか! 時の流れが速すぎてついていけません。
 

 
 こんな本が普通に書棚に並んでいたことでもわかるように、今はなき三省堂アネックスはわれわれ世代の人間にとっては伝説的な書店だった。先般神保町で行われた東雅夫さんの還暦記念イベントでもこの店のことに話題がおよんでいた。

 そうそう、それで思い出したのだけれど、これも伝説の「金羊毛」創刊号を見たのもこの三省堂アネックスではなかったか(それとも本館のほうだったか? ここらへんは記憶があやふや)。ところが「塔英介」というパチものみたいな名の人が書いていたので、「これはうさんくさい雑誌だ〜」と思って結局買わなかった。今では激しく後悔している。

 そこで今日の教訓2つ
1.気になった本は買っておかないとあとで後悔する。
2.あなたが20代のときに買った洋書は40年後に自分の手で翻訳することになるかもしれない。

秘密の合図

昨日のことである。とあるイベントに行ったら、会場で妙齢の美女から人目を忍ぶようにこれを手渡された。

平然と受けとりはしたものの、内心では動揺を抑えられなかった。すでにこうしたものまで作成されていたとは! ふつうこうしたものは本が出てから作るものではないのか。この手回しのよさはなんだろう……どうやら事態は考えていた以上に急速に進展しているようだ。こちらはまだ手さえつけていないのに。

たぶんこのメダルめいたものは、受け取ったら最後、もはや決して後には引けないぞという秘密結社の符牒のようなものなのだろう。裏切ったときは死あるのみ。ホームズでいえば五個のオレンジの種みたいなものか。

それにしてもこういう怪しげな秘密結社を結成するのは四階だけかと思っていたら、最近は三階にまで浸透しているらしい。油断も隙もない世の中になったものである。